はじめに

 浅間山ミュージアムは、2004年9月1日の噴火をきっかけに、地元の有志の者たちで作られた非営利団体(NPO)です。別に野心があって立ち上げたとか、観光客を囲い込むといった目的のために、大風呂敷を広げたわけでもありません。いろいろな経緯があって、ごく自然に、このような形になったというのが正直なところです。



1.2004年9月1日の噴火

 2004年9月1日の噴火は、全く寝耳に水でしたから、誰も彼も噴火に慌てふためきました。私も、その一人で、地元民の一人として、自主的に調査活動を行いました。ところが、いざ調べようとしても、自分には悲しいくらいに基礎知識がありませんでした。噴火の写真をとっても、火山灰のサンプルを集めてみても、それが何を意味するのか、全く分かりませんでしたし、火山灰を顕微鏡でのぞいてみても、鉱物の知識ゼロでしたので、どういうものでできているか、さっぱり分かりませんでした。

 浅間山という火山のそばで生活しているくせに、火山について、恐ろしいくらいに無知だったことに、今更ながら気がつきました。今まで自然について、それなりに知っているつもりだった自分の鼻っぱしらをみごとに折られてしまいました。

 そこで、あわてて、本屋に走りました。火山関係の資料を集めるためです。浅間山の麓の本屋なら、きっと火山専門書と郷土資料として火山関連の本が並んでいるに違いないと信じ込んで・・・・。



2.火山を調べる

 しかし、本屋にいってみて愕然としたことは、火山に関する本が、あまりにも少ないこととでした。1冊専門書が置いてある本屋があれば良い方で、かなり大きな本屋でも

火山の本は、ほとんどない

のが普通でした。嬬恋・長野原・佐久・軽井沢・御代田・小諸といった、浅間山をとりまく市町村の本屋という本屋を虱潰しに回っても、たいした本は見つからなかったものです。

(もっとも、その数ヶ月後には、火山本が出回るようになりました。しかし、それも束の間のことで、2005年頃には、そういった火山の本も、恋・長野原・佐久・軽井沢・御代田・小諸といった、浅間山をとりまく市町村の書店から次々と消えてしまいました。近郊に住む皆さん、一度、その目で確認してみてください)

 図書館は、まだマシでしたが、嬬恋村と長野原町は、てんでお粗末。軽井沢で多少そろっている程度。これが火山をかかえている自治体の図書館なのか?と目を疑いたくなったものです。歴史文献などは、多少はありましたが、理工系の専門書は驚くほど少なかったです。かといって、東京の本屋にいけばワンサカあるというわけでもなく、結局のところ、国会図書館などで資料を集めるしかなかったものです。

 もちろんインターネットを使えば、情報入手も可能でした。しかし、専門用語が出てくるとちんぷんかんぷん。人によって、固有名詞や数字がマチマチで混乱しました。例えば『鎌原土石なだれ』だけでも、数種類以上の表現があり、何をどう信じて良いのかさっぱりわかりませんでした。情報の洪水に途方にくれてしまったのです。



3.学習会の誘致

 そうやって試行錯誤していくうちに、資料は集まってきましたが、火山と生態学をつなぐ線や、歴史学をつなぐ線が、見えてこないことに気がつきました。例えば、噴火ごとに花粉症のような症状を訴える住民がいましたが、それを解説してくれる情報にも、広大な六里が原の草原が、一夜にして枯れてしまった現象を解説してくれる情報にも、出会えませんでした。

「これらの不思議を、放置していいのだろうか?」

と私は、漠然と山に入って、自分なりの調査をしましたが、なにぶん学が足りないために、系統だてて調べるすべを知りません。途方にくれていますと、嬬恋高原倶楽部の飯田さんが、群馬大学の早川由起夫が開催している『明るく楽しい浅間山学習会』に誘ってくださいました。

 私は「火山知識が増える」と思って学習会に参加。ところが、学習会で得られたものは、知識ではなく、火山に対するモノの見方であり、調査のしかたでした。

 その時の私たちの衝撃ときたら、背後から棍棒で殴られたような感じで、「やられた!」と思いました。それは火山に対する知識そのものに対してではなく、
「火山を推理する」
「地球を推理する」
という事が、愉快で楽しいということでした。

 それは、歴史学や考古学、生物学や生態学などにも言えることであり、それらを、複数の線で繋げて、多次元にわたるインタープリテーションプログラムを設定できますし、それをコーディネーターとして考えた場合、無限の広がりがあることに気がついたのです。



4.フィールド調査の楽しみ

 フィールド調査(フィールドワーク)とは、研究対象となっている空間や人々と、一緒に生活をし、 共に体感し、見たり、触れたり、インタビューをしたりする社会調査活動のことです。

 これは図書館や実験室で調査研究をするのと違って、非常に愉快で楽しい活動です。もちろん、本を読んだりすることも大切なことには違いありませんが、現地を見て、さわって、体感するという作業が浅間高原には、ぜったい欠かせません。なぜならば、浅間山と浅間高原は、

非常にはかない自然である

からです。

 世界遺産の屋久島。
 世界遺産の知床。

 そこには、樹齢何千年という大木がありますし、何千年という変わらぬ自然があります。しかし、浅間山や浅間高原の自然には、そういった自然はありません。ここの自然は、200年前の天明の噴火でリセットされた自然ですし、それから後、刻々と変化しています。

 30年前の写真を見ると、今と全く風景が違います。おそらく30年後も違っているでしょう。ひょっとしたら、噴火で、あたり一面リセットされてしまっているかもしれません。ですから、ここには縄文杉のような老樹はなく、変わりゆく植生と、変わりゆく動物たちが生きています。もちろん地質も、噴火によって変化します。もちろん人間たちの営みも噴火と共に変わっていきました。そういう自然は、屋久島・知床といった変わらぬ自然と、別の価値があります。はかない自然ゆえに、かえって貴重な自然であったりします。

 そして、このはかない自然ゆえにフィールド調査が、重要な意味をもち、そのフィールド調査によって、浅間高原の自然を推理したり、地球を推理することが、とても重要なことになってきます。飯田さんが誘致した明るく楽しい浅間山学習会で、それに気づかされました。



5.私の旅百選

 では、明るく楽しい浅間山学習会とは、どんな学習会であったかと言いますと、教わったことを文字にすれば、2〜3行で終わってしまうほどの、わずかな知識でしかありません。つまり、増えた知識そのものは大した量は無かったのです。

 ただ、その知識は、どういう検証を受けてなりたっていったか?というフィールド調査の面白さに、私を含めた浅間山高原の観光業者は敏感に感じ取りました。私は、この面白さを

『地球を推理する』

にあると思い、文化庁が募集していた『私の旅百選』に『地球を推理する』というテーマをかかげて応募しました。さいわい、このプログラムは百選に選ばれ、文化庁から賞状を頂いたわけですが、この頃には浅間山ミュージアムは、まだ存在していませんでしたから、『嬬恋村グリーンツーリズム火山プログラム推進委員会』という名前で応募しています。

 このプログラムは、3日という日程を必要とします。

 1日目は、まず自分で浅間高原の観光地を巡ってもらいます。ここまでは、普通の観光旅行と一緒なのです。違うところは、2日目も、嬬恋村グリーンツーリズム火山プログラムのスタッフと、同じところに出かけるところです。

 同じところに2回行くのです!

 しかし、2回目には、嬬恋村グリーンツーリズム火山プログラムのスタッフ(インタープリター)が同行し、すでに1日目に訪れている場所に行きます。再びインタープリターと一緒に訪れる理由には、わけがあります。

 1日目は、観光で訪れていますが、その時点では、地球を推理する視点をもっていません。しかし、インタープリターの手助けによって、地球を推理する視点をもった後は、同じ場所なのに別の場所にみえてくるのですね。

 これは観光地に限りません。そのへんの、なんでもない道路でも、田畑でも、丘でも、林でも、地球を推理する視点をもった後は、単なる道路が、そうではなくなっていることを体験できます。

 道沿いに存在する巨大な黒岩が、いったい何を物語っているか、そして、江戸時代の鎌原村の人達に何がおきたのか、それを、インタープリターの人達の、ちょっとした手助けによって、自分で見つけられるようになるのです。そうなったら参加者の皆さんは、ほんとうに驚き感激してくれます。そして、童心に帰って、目をキラキラと輝かせながら、私たちに問いかけてくれます。

 そして、3日目。浅間高原において、地球を推理する旅は、ここで終わりますが、地球の推理の仕方を身につけた旅人にとって、旅は、これからが始まりです。まだ、推理すべき土地は、たくさんあります。昔、旅したところに再び訪れたとしても、そこは、全く新しい未知の世界に見えるはずだからです。

『地球を推理する』

という旅のプログラムは、浅間山麓だけに終わる旅ではなく、むしろ、そこを出発点として、長い旅の始まりを提供するプログラムでもあります。

 ですから、このプログラムは、3日という日程を必要すると、最初に書きましたが、3日目のプログラムは、私たち地元のガイドが提供するプログラムではなく、御客様が、自分の興味にあわせて、御客様自身が作るプログラムなんですね。

 私たちは、それを上手にコーディネートしてあげるだけなんですが、ここで大切なことは、3日目の旅行スケジュールをコーディネートするだけではなく、その後の人生といったら大げさですが、おとずれた人の知的好奇心をくすぐり、その人の生涯学習のプランまでコーディネートするくらいであれば、本当に大成功といえるかもしれません。

 2泊3日。

 浅間高原において、地球を推理する旅は、ここで終わりますが、地球の推理の仕方を身につけた旅人にとって、旅は、これからが始まりです。まだ、推理すべき土地は、たくさんあります。昔、旅したところに再び訪れたとしても、そこは、全く新しい未知の世界に見えるはずです。

『地球を推理する』

という旅のプログラムは、浅間山麓だけに終わる旅ではなく、むしろ、そこを出発点として、長い旅の始まりを提供するプログラムでもあります。そのきっかけをつくるのが、嬬恋村グリーンツーリズム火山プログラムであると、書いて企画書を文化庁に提出いたしました。



6.グリーンツーリズム

 嬬恋村では、グリーン・ツーリズムを積極的に推進し、長期滞在型観光地づくりをすすめています。そこで、嬬恋村役場・政策推進課では、地元観光協会、JA嬬恋村、商工会等と連携し、今後につながる事業として、グリーン・ツーリズム体験の研究大会を開催しました。

 開催期日 平成17年9月23日(金)〜24日(土) 1泊2日

 浅間高原観光協会の理事であった私(佐藤)は、A地区(北軽井沢地区)のペンションオーナーたちと、『浅間と共に生きる。浅間山噴火の歴史と火映撮影』というプログラムが設定して、募集をかけました。

 最初、私が講師をやる予定でしたが、連休で忙しかったこともあり、嬬恋村政策推進課の担当者の御尽力で、群馬大学の早川教授・嬬恋村郷土資料館の松島館長に解説を御願いするという豪華なプログラムが実現いたしました。

 ところがです!

 人が集まらないのです。直前まで参加者希望者ゼロだったのです。ホームーページ(http://kaze3.cc/gt/)まで作って、全国のグリーンツーリズム諸団体と相互リンクでつなぎ、いろいろ広報を行ったにも関わらず参加者ゼロなんですね。ちなみに、嬬恋村グリーンツーリズム推進委員会が提供したプログラムは、以下の7つです。

 1、縄文生活体験コース 【白根】
 2、浅間山噴火の歴史と火映撮影 【浅間】
 3、広大な浅間の裾野で酪農と野菜収穫体験 【浅間】
 4、浅間高原の散策とキャベツの収穫体験 【浅間】
 5、湯の丸山・角間峠。疲れた体は温泉で・・・ 【鹿沢】
 6、大地の恵み日本一のキャベツ収穫体験 【鹿沢】
 7、鹿沢高原でアウトドア・スローライフを満喫! 【鹿沢】

 この7つのプログラムのうち、火山プログラムだけに直前まで参加者が来なかった。さんざん広報したにもかかわらず、参加者ゼロでした。あとの6つのプログラムは、独自の広報がゼロであるにもかかわらず、参加者が殺到していました。

 ただ、直前になって6名の参加者があらわれ、そのうち3名は熱心なリピーターとなって、何度も嬬恋村に通ってくれています。そして、口コミでもって、火山プログラムを申し込む人たちが、じわじわと増えていき、いまでは信じられないくらいに盛況になってきています。

 そう言う意味では、この企画は大成功だったのですが、火山とグリーンツーリズムが、いかに程遠かったか、体験型観光とグリーンツーリズムの距離が、いかに遠かったか、身をもって知らされました。また、火山と歴史だけでは、グリーンツーリズムに興味ある人たちを引きつけることは難しいと感じました。

 と同時に、ひとまかせもいけなかったと真剣に反省もしました。やはり、自分自身がコーディネーターとして現場にたち、自分自身がインタープリターとして御客様とせっし、実際の反応を体感しながら、プログラムを開発していかなければいけないと痛切に感じました。

 広報のしたかにも問題がありました。グリーンツーリズムという文字からくるイメージと、火山プログラムの組み合わせの違和感。火山や歴史と農業が、どんな関係があるんだ? という一般の人たちのもっているイメージ。ひよっとしたら、この文章を読んでいるあなたも、そういうイメージをもっているかもしれません。しかし、本当は、みのすごく密接なつながりを持っているのです。キャベツ収穫体験も、花畑も、酪農も、自然散策も、

  浅間山と浅間高原という、
  はかない自然を

抜きには語れないからです。ですから、それ抜きでグリーンツーリズムのプログラムを作った場合は、浅間高原のグリーンツーリズムとしては、その面白みも半減。いや、10分の1も伝わってこないと思います。

 かといって、これを一般の方に伝えるには、「グリーンツーリズム火山プログラム」という名称では、説得力はなく、どちらかと言いますと違和感がでてきます。そこを悩んでしまいました。ところが思わぬヒントが、鹿児島にありました。



7.ミュージアムたちあげ

 話は、かなりさかのぼりますが、私が嬬恋村政策推進課のグリーンツーリズム担当・橋詰さんから、グリーンツーリズムのプログラムを考えるように言われたときに、群馬大学の早川教授に、桜島ミュージアムの存在を教えていただき、そのホームーページを見させていただきました。

 (http://www.sakurajima.gr.jp/

 そして、数ヶ月後の2005年9月26日。地元有志の人たちが、桜島ミュージアムの福島先生を招聘し、パルコール嬬恋『ゴルフ場』の会議室で、桜島ミュージアム構想を伺いう機会を得ました。その構想を伺った私たちは、そっくり、そのまま浅間高原にも使えるのではないかと考え、桜島ミュージアムの福島先生の了解を頂いて、浅間山ミュージアムを立ち上げることになりました。

 エコミュージアムとは、ある地域全体を博物館と見立てて、地域を学習し、交流していく施設と活動です。日本語では「生活・環境博物館」、「地域まるごと博物館」などと訳されています。エコミュージアムは、1960年代後半、フランスの博物館学者アンリ・リビエールが構想した新しいタイプの博物館で、地方の見直しと関連しながら、世界では幾百ものエコミュージアムが生まれています。

 エコミュージアムを直訳すればecology museum(生態学博物館)になります。しかし、リヴェールは野外博物館を創設するにあたって「家の博物館(musee de maizon)という概念を基本にしなければならないと述べました。フランスでは家の博物館の概念のもと、フランスで初めての野外博物館がランドのマルケーズに開設されています。

従来の博物館との違い
従来型の博物館 建物 収集品 専門家・公衆
エコミュージアム
領域 
遺産・記憶  住民

 従来型の博物館は、建物を新たに建築し、特別な収集品を保存し、展示することで狭い範囲の文化を継承し、伝承していくものになっています。しかし、エコミュージアムはその地域の生活そのものを保存し展示していくことで、自分たち住人自身が、地域を知る。自分たちの生活を知り、興味をもつことによって、地域の活性化を図り、地場産業の発展をめざすことがエコミュージアムの目的になっています。



8.風土博物館構想

 風土博物館構想とは、嬬恋村郷土資料館館長松島榮治先生が、長い期間温めてきたもので、平成7年に嬬恋村教育委員会で、整備計画を村に提出しています。その計画書の内容については、松島榮治先生の紹介ホームーページに譲るとして、ここには、嬬恋村広報誌に掲載された『シリーズ嬬恋村の自然と文化・連載32回』の記事を紹介したいと思います。

 『シリーズ嬬恋村の自然と文化・連載32回/抜粋』

 通常、建築学的に限られた一定の空間をさすが、ここに言う博物館とは、人々が生活する地域的拡がりを指すのである。

 したがって、この風土博物館構想とは、嬬恋村の人々の生活と環境との優れた関わりを、現地において保存、育成、展示することを通して、豊かな未来を創造しようとする、新しい理念による地域振興策と言えよう。

 従来、博物館と言うと、行政側で設置・運営し地域住民の参加は少なかった。これに対して本構想は、住民を主体とすることから住民参加が前提条件となる。地域住民は構想の大切な構成要素なのである。それだけに、この構想を策定するにあたっては、行政と住民とが、一体となって推進する必要があろう。

(郷土資料館長 松島榮治)


 松島榮治先生の風土博物館構想は、驚くほど浅間山ミュージアムの構想に似ています。というか、地域の生活そのものを保存し展示していくというエコミュージアムそのものとも言えると思います。図にすると下記のようになります。

従来の博物館との違い
従来型の博物館 建物 収集品 専門家・公衆
エコミュージアム
領域(理系?) 
遺産・記憶  住民
風土博物館 地域(文系?)

 そこで、浅間山ミュージアムでは、松島榮治先生の風土博物館構想の実現にむけて活動も、視野に入れることになりました。つまり、今後の浅間山ミュージアムは、

  エコミュージアム構想+風土博物館構想

の2本たてになることになります。これに福嶋誠氏の『浅間学の提唱』が加わることになります。



9.福嶋誠氏の『浅間学の提唱』

 浅間山ミュージアムを立ち上げるにあたって、まず行ったことは、浅間山ミュージアムが、どういうタイプのエコミュージアムになるのか?という方向性を模索することです。そのためには、もっと浅間山・浅間高原の調査が必要だと痛感し、ただひたすら山にはいってばかりいました。浅間学を唱える福嶋誠氏の、『浅間高原は、浅間山ありきである』の言葉を思い浮かべながら。

 浅間高原とは何か?
 浅間山とは何か?

 インターネットで調べることも、図書館で調べることも可能です。しかし、浅間学提唱者の福嶋誠氏が、言葉にならない言葉で、たどたどしく語る浅間学は、本やインターネットの世界では、どうしてもわかり得ない世界なんですね。これは、感性というか、感覚の問題かもしれませんが、浅間高原の住人とって、この感覚の世界ぬきにして、浅間山は語れませんし、それがあるからこそ、学者でもない地域住民が、大学の先生をはじめ、いろいろな専門家を招いて、浅間山ミュージアムを立ち上げるわけです。つまり、浅間山ミュージアムは、専門家が立ち上げた組織でも何でもなく、単なる民間の、それも全くの素人の集まりが、自主的に立ち上がって自然発生的に始めた組織なんです。ですから、皆さんのボランティアで運営されている、非営利団体です。

 浅間高原の荒野に生える雑草。それが浅間山ミュージアムです。雑草は、誰かに栽培されて生えるのではなく、リセットされた土に自然発生的に生えてきます。浅間山ミュージアムも、そうです。浅間山ミュージアムは、行政の呼びかけや、マスコミの呼びかけや、地域の指導的な人たちによって、できあがった団体ではありません。どちらかといったら無名な人たちによって、自然発生した自主的な学習会が、紆余曲折を得て、ここまできたという地味な団体です。けっして野心的な意図をもって作られた団体でもありません。

 そうではなく、2004年9月1日の噴火に驚いた、住人たちの発見や、驚きや、知的好奇心や、危機意識によって、浅間山とは何か? 浅間高原とは何であったのか?という問いかけが、浅間山ミュージアムの誕生につながっていったのかもしれません。そして、その問いかけを起点として、

 旅とは何か?
 生きるとは何か?
 地球とは何か?

に繋げていくことが大切であると私は考えています。そして、名もない民間レベルから浅間山や浅間高原の情報発信していくことに、とても重要な意義があるような気がします。

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