浅間山ミュージアム
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  朝日新聞−群馬再発見
  上毛新聞−100選
  読売新聞−噴煙見つめ
  月刊観光−学習会1
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  NHK(2005/9/23)
  NHK(2006/1/31)

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月刊観光 『明るく楽しい浅間山学習会について』


○『天は自ら助くる者を助く』(自助論・スマイルズ)

 2004年9月1日、浅間山が噴火しました。
 嬬恋村の観光・農業は致命的なダメージを受けました。
 しかし、はたして、あの噴火は天災だったのでしょうか?
 サミエル・スマイルズは『天は自ら助くる者を助く(自助論)』と言いました。

 あれは2005年4月中旬の頃です。嬬恋高原倶楽部の飯田さんから、群馬大学早川由紀夫教授による『明るく楽しい浅間山学習会』に参加しない
か?と誘いをうけました。

「群馬大学の教授が、嬬恋村に何の用事があるんだろう?」
「金は取られるのかな?」
「え? マイクロバスで案内してもらって、それで無料なの?」
「それにしても、いまさら、どうして火山なのだろうか?」

 大学の先生の話なんて、どうせ面白くないんだろうけれど、1回は参加して義理をはたそうと消極的な考えで参加してみました。しかし、学習会がはじまって10分もたたないうちに火山学のとりこになっていきました。学習会によって、土・岩・地層からも声が聞こえるようになりました。もちろん大地が何を語っているかは、学者ではない自分にはわかりません。しかし、大地にも声があることを知りました。 


○明るく楽しい浅間山学習会が始まった経緯

 2004年9月1日の浅間山噴火には、観光業者にも農業関係者にも、深刻なダメージを受けました。人々は噴火を呪いました。そんな状況下の中で、山本正幸氏と群馬大学の早川由紀夫教授が、第一回明るく楽しい浅間山学習会を9月15日に東京品川で開催。第2回学習会は草津、第3回の学習会は品川で開催されました。しかし、この1〜3回の学習会には、ほんのわずかしか地元の観光業者は参加していません。

 きっかけは、2005年3月、群馬大学の早川由紀夫教授が、まえちゃんネット掲示板2(http://bousai.madlabo.com/bbs/volcano/の1450発言を参照)で、学習会を呼びかけたことからはじまります。それにとびついたのが嬬恋高原倶楽部の飯田さんです。飯田さんは早川教授に、火山学習会の浅間高原(嬬恋村・長野原町)へ誘致の御願いし、パルコール嬬恋の園田さんが、会社のマイクロバスを学習会に提供できるよう尽力されました。そして第4回以降の明るく楽しい浅間山学習会が浅間高原で行われたのです。

(蛇足ですが、4回の学習会は、NHKからの取材もありテレビ放送されています)


○明るく楽しい浅間山学習会内容

 明るく楽しい浅間山学習会は、2005年10月末までに10回を予定しています。内容は、フィールドでの検証が主です。たとえば、巨大な岩を見学し、この岩が、どのように誕生し、どのように運ばれてきたかを問いかけます。しかし、早川教授は、すぐには答えをだしてくれません。まず、私たちに考えさせ、推理させます。そして岩を見せ、石を見せ、地層を見せ、地形を見せ、それらが何を語っているかを静かに考えさせます。セーブしすぎているのではないかというくらいに教えてくださいません。

 しかし私たちは、早く回答を知りたいですから、次々と質問をなげかけます。すると早川教授は、チラリとヒントをおっしゃいます。熱心な参加者の中には、メモをとっている人も多いのですが、教授はメモをやめさせることさえあります。受験型の学習会とは、ずいぶん違ったスタイルで、知的好奇心を大いにくすぐられます。正直言って面白いのです。だからこそ私たち観光関係者には、ピーンとくるものがありました。

○地域と大学との連携についての感想

 先生の講義は宝の山でした。先生の言葉から金銀大判小判がザクザクと出てくることに気がついた観光関係者たちでした。噴火を呪い、火山など無くなれば良いと思った人たちも、火山も防災の知識も、非常に魅力的な商品であることが瞬時に理解しました。学問・知識は、地域のために生かし切ってこそ、価値あるものになることは、頭の中では理解していましたが、それを実行する努力が足りなかったことは、学習会に参加して思い知らされました。そういう意味で、噴火の後に直ちに火山を研究しなかったことは、私たち観光業者の怠慢であったのかもしれません。早川先生は、それを私たちに遠回しに教えてくださいました。

『天は自ら助くる者を助く』

 噴火は天災などではなく、むしろ天のあたえた幸いだったような気がしてなりません。本当の天災は、噴火に対して何の対策もとらずして、それを呪うばかりの態度の中にこそあるような気がします。

 噴火したとき、夜のうちに地域住民が火山灰を全て始末して何事も無かったようにしたと言う町があった言います。当時の私は「さすが観光で食っている町だ」と感心したものでした。その町では、マスコミを役所から閉め出したと聞きました。群馬県の嬬恋村では、全てが逆でした。マスコミは、ずーっと役場に張り付いていました。だから当時、観光業者たちは悔しい思いをしたものでした。

 嬬恋村は、観光と農業の両立の村です。観光のためだけに『噴火は大したことがない』と噴火の事実をあたかも無かったようにすることはできません。農業関係者にしてみれば、被害をアピールして行政の支援を取り付けたいでしょうから。つまり観光と農業の両者には、噴火をめぐって利害が対立するところもあったわけです。しかし、火山について学ぶうちに、利害は対立しない。むしろ、そうではない事に気づきました(理由は紙面が足りないので省略)。ですから嬬恋村グリーンツーリズム協議会で『火山学習プログラム』を設置し、早川教授に講師になっていただいたりもしました。
(詳しくはhttp://kaze3.cc/gt/を参照)。

○今後の展開

 2005年9月26日、明るく楽しい浅間山学習会では、桜島ミュージアムの理事長・福島大輔先生を御招待して「地域をまるごと博物館にする方法」の御講演をしていただきました。福島さんは、桜島全体を博物館に見立ててさまざまな活動を行っています。その壮大なエコミュージアム構想に感心した有志の者が、浅間山でも、このような試みができないものかと『浅間山ミュージアム』というエコミュージアム構想を立ち上げました。
(詳しくはhttp://kazeno.info/asama/を参照)

 エコミュージアムとは、ある地域全体を博物館にしてしまう活動のことで「地域まるごと博物館」などと訳されています。イギリスで生まれた『ナショナルトラスト』のフランス版のようなものであるといえば理解しやすいかと思います。浅間山ミュージアム構想が、どのようなものになるのかは、まだ手探り状態が、同じくフランスで生まれ育った『グリーンツーリズム運動』などと連携をすすめ、浅間山北麓(嬬恋村や長野原町)の特色である観光と農業が連帯を組んで火山に取り組んでいければいいなと思いつつ、まだまだ勉強に励んでいるところです。


文責 佐藤智 (月刊観光1月号掲載文)
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明るく楽しい浅間山学習会
http://maechan.net/hayakawa/asama/patrol/meeting.html
グリーンツーリズム火山体験プログラム
http://kaze3.cc/gt/
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ペンションティンカーベル http://homepage3.nifty.com/bbe/
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非営利団体(NPO) 浅間山ミュージアム事務局
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