板鼻本陣跡(皇女和宮御宿泊所) |
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板鼻本陣跡(皇女和宮御宿泊所)板鼻宿の本陣跡は、現在の板鼻公民館近くにあります。この本陣の書院に孝明天皇の皇妹和宮(かずのみや)親子内親王が、仮の宿として宿泊されたそうです。敷地 間口15間半 奥行30間 地坪465坪 書院 本家の西側に接続する。 梁間5間半 桁行9間半 建坪52坪2分5厘 本家の建物は大同2年の建物で、古い入妻式のものであったと言い伝えられている。文久元年、幕末の勤王佐幕の対立のはげしい時、公(皇室)武(幕府)合体の穏健派は孝明天皇の皇妹和宮(かずのみや)親子内親王を、14代将軍徳川家茂の簾中としてご降下を秦請したのであるが、宮は「・・・此の儀恐れ入れども幾重にもお断り申したく・・・」と心ならずも本陣書院に入り仮の宿をとらせられることとなった。全道中警護の藩12、途中宿次ぎの藩29、伝馬の人夫約3万という前代未聞の大行列であった。 途中各宿駅は (一) 三日間は、上下旅人の通行止め。 (二) 二階雨戸を締め切り目貼りのこと。 (三) 表には水を満たし天水桶を置くこと。 (四) 表屋根に留石板を添えること。 (五) 当日はたき火無用のこと。 (六) 表障子を明け払い奥まで見透かしにすること。 (七) 掛看板、わらじの類ははずしおくこと。 (八) 当日水車其他鳴物差止のこと。 (九) 身元不審人等置かぬこと。 高貴の姫君の御降下はこの時に始まったものではなく、その殆どが中山道であった。しかし、この時に限っての厳重な警固は、時の人心の動揺が他に比すべきものがなかったからである。 |
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