一之宮貫前神社

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一之宮貫前神社

 富岡市一ノ宮にある国の重要文化財で、千有余年の歴史をもつ由緒ある神社です。

 創建は安閑天皇の元年(531年)3月15日、鷺宮(安中市)に物部姓磯部氏が氏神である経津主神を祀り、荒船山に発する鏑川の流域で鷺宮の南方に位置する蓬ヶ丘綾女谷に社を定めたのが当神社の始まりと云われます。その後、天武天皇2年(私年号では白鳳2年、673年)に最初の奉幣が行われました。
 室町時代末期の西上州は上杉・後北条・武田の各氏に支配されました。『中世諸国一宮制の基礎的研究』によれば、当神社は各氏から庇護を受け、特に武田氏は造替費用を信濃四郡の棟別に課して、上野国を越えた策を講じたとされます。江戸時代には徳川家の庇護を受け、社殿の再建などが行われました。明治4年(1871年)に国幣中社に指定されましたが、第二次世界大戦の終戦に伴い旧社格は廃止されました。その後、当神社は神社本庁が包括する別表神社となっています。

 総門をくぐって石段を下がったところに社殿があり、変わった造りであることでも有名です。 一ノ宮貫前神社は、千年余を経た古木だちに包まれ、荘厳な静けさのなかにたたずんでおり、延喜式神名帳に名神大社として列せられているいにしえの時代からの名社です。安閑天皇元年(535)に武神である経津主神(ふつぬしのかみ)と農耕と機織の神である比売大神(ひめおおかみ)をまつったのが始まりです。

 古代より上野国一之宮として信仰の厚かった貫前神社は、経津主神と姫大神という二柱の神が祭られており、時代により貫前神社・抜鉾神社という神名に変わっていました。古くは貫前神社、鎌倉時代から江戸時代にかけては、抜鉾神社、明治以降は現在の貫前神社と呼んでいました。この神社が、記録に初めて出てくるのが大同元(806)年ですので、それ以前に建立されたことになります。

 この神社には大きな特徴が二つあります。その一つは、神社は参道を上った位置にあるのが一般的ですが、この神社の場合は、参道を下った低地に社殿が位置していることです。
 二つめは、古くから式年遷宮が行われていることです。申年の12月12日の真夜中、参道上の広場に建立された仮社殿に遷座され、酉年の3月に元の本殿に戻る神事が繰り返されています。

一ノ宮貫前神社 (TEL0274-62-2009)
群馬県富岡市一ノ宮1535