追分宿郷土館 |
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追分宿郷土館追分宿は、浅間根越の三宿(追分・沓掛・軽井沢)のひとつで、中山道と北国街道の分岐点にあり、昔から交通の要衝の地でした。江戸時代に入って中山道の大改修が行われ、参勤交代の制が実施される頃から著しい発展をしました。人馬の往来が激しく元禄当時の記録によると旅籠屋71軒、茶屋18軒、商店28軒、その他5軒を数えるほどの宿場で、宿場町の形態としては他と比較できないほど整備されたものでした。 慶長9年(1604)、全国の街道に一里塚をつくらせましたが、日本橋から40番目にあたる追分の一里塚は、中出道69次の内でも、道路をはさんで左右に塚があるという形態が残り、貴重なものです。また、飯盛女たちの数も最盛期には200〜270人もいたので、名実ともに活気あふれる盛んな宿場町であったことがうかがわれます。 そんな、追分宿の様子が一目でわかるのが、軽井沢町追分宿郷土館です。 追分宿及び軽井沢町西地区の資料を一堂に集め、昭和60年(1985)7月に開館した郷土館。旅籠を模してつくられた建物で、宿場の雰囲気を出すため、内外観とも木造風を基調とし、外観は江戸時代の旅籠に似せてコンクリート壁に木造の出桁造り(出梁造り)をめぐらしてます。 常設展示室入口には茶屋の一部を復元し、当時使われていた品々を配するなど、追分地区ゆかりの資料を中心に、縄文時代から現代までの歴史を、年代を追ってたどることができます。2階の企画展示室には軽井沢出身の書家、稲垣黄鶴女史の書や追分に関係する古書・古文書、桝形の茶屋・油屋をはじめとする旅籠・茶屋の模型などが展示されています。
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