海野宿 |
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海野宿重要伝統的建物群保存地区「東部町海野宿」道の中央を流れる用水、その両側に立ち並ぶ格子戸のはまった美しい家並みは、古き良き宿場町の風情を今に伝えています。まさに見事に保存された歴史の町です。最初に歴史資料館であらかじめ知識を仕入れていくのがベスト。海野宿は寛永二年(1624)に北国街道の宿場駅として開設されました。宿場の東西には枡形が置かれ、その間、約六町(650m)で街道の中央に用水を引き、本陣をはじめとして旅籠屋、伝馬屋敷が並んでいました。宿場の東端には白鳥神社があり、中世のの頃、海野郷を支配していた豪族海野氏の氏神でした。 現在残されている町並みには、出張り造りの旅籠屋「海野格子」と呼ばれる二回の出格子、卯達のある江戸時代の建物が現存し、それと共に明治以降の養蚕、蚕種業が盛んなりし頃に造られた櫓のついた蚕部屋造り建物にも寄場時代の伝統的な形式が受け継がれ、調和のある町並みを作り出しています。
海野宿の町並みは、江戸時代の旅籠屋造りや、茅葺き屋根の建物と、明治以降の堅牢な蚕室造りの建物とがよく調和して伝統的な家並みを形成しています。道の中央を流れる用水、その両側に立ち並ぶ格子戸のはまった美しい家並みは、歴史のふる里をを想わせる静かなたたずまいを感じさせてくれます。 また、海野宿の産土神である白鳥境内の社そうは神社の歴史を物語り、中央にあるけやきの木は樹齢七百年を超えています。毎年4月の例祭には街道に12本の大のぼりが立ち並ぶなど、昔ながらの風習が今も受け継がれています。11月23日(祝)には海野宿ふれあい祭が開催され、時代仮装行列や、人力車も繰りだし往時の宿場の賑わいが甦ります。 海野宿は寛永2年(1625)に北国街道の宿駅として開設されました。北国街道は、中山道と北陸道を結ぶ重要な街道でした。佐渡で採れた金の輸送、北陸の諸大名の参勤交代のほか、江戸との交通も頻繁で善光寺への参詣客も多くありました。 寛保2年の大洪水によって隣接する田中宿が被害を受け、本陣が海野宿へ移されてからは、伝馬屋敷59軒、旅籠23軒と、たいへんな賑わいを呈していました。明治に入り宿場機能が失われてからは、養蚕の村へと移り変わりました。海野宿は伝統的な家並みが現在まで保存されていることから、昭和61年には「日本の道百選」に、62年には「重要伝統的建造物群保存地区」に選定を受けています。 |
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