佐久(浅科地区)の観光ガイド

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佐久(浅科地区)の観光ガイド
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  駒形明神社
  塩名田宿
  塩名田宿本陣跡
  舟つなぎ石
  三階建住居群
  八幡宿
  八幡宿本陣跡
  八幡神社と高良社(こうらしゃ)
  五郎兵衛記念館
  ほっとぱーく・浅科
  あさしな温泉 穂の香乃湯

■佐久の観光(望月地区)
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塩名田宿
塩名田宿(しおなだしゅく)は、中山道六十九次のうち江戸から数えて二十三番目の宿場です。暴れ川であった千曲川の東岸にあり、旅籠が10軒以下の小さな宿場にも拘らず、本陣と脇本陣が合わせて3軒もありました。橋も掛けられたが洪水の度に流失し、船や徒歩で渡るのが専らでした。この辺りは各宿駅間の距離が短く、大名行列等大通行の折には分宿も行われていたといいます。
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塩名田宿本陣跡
塩名田宿は川止めの際に大いに賑っていました。本陣二軒のうち一つは名残を留めていませんが、新左衛門家(現丸山家)が残ります。県道沿いにはその他に袖うだつを両脇に張り出させた旧家など、旧宿場町らしい姿を伝えていました。往時は市が立ち商家も多かったといいます。

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舟つなぎ石
明治六年(1873)に船橋(九艘の舟をつないで、そのうえに板をかけわたして橋としたもの)が架けられ、渡川が確保されました。舟つなぎ石は、その船橋をつなぎとめたもので、だから上部に穴があけられているのです。その後、明治二十五年に県によって木橋が架けられ、船橋の役割は終わりました。09-6-20-18.JPG
八幡宿
 現在の長野県佐久市八幡。千曲川の西岸にあたり、対岸の塩名田宿との距離は1里もありません。けれど、川止めになったときの待機地として、また千曲川沿いの米の集散地として江戸時代初期の慶長年間に整備された宿場です。本陣1、脇本陣1、旅籠3軒。で賑わっていました。

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八幡神社と高良社(こうらしゃ)
 旧本殿高良社のほかに、本殿、拝殿、端籬門が宝永5年(1708)、随身門が天保14年(1843)に建立。額殿には1780年に奉納された県下最古といわれている算額があります。正面にはこの周辺に定住した朝鮮半島からの渡来人の社といわれる重要文化財の高良社があります。この高良社は八幡社の旧本殿です。旧本殿は室町時代中期(戦国時代)の延徳三年(1491年)に作られた社です。
五郎兵衛記念館
 五郎兵衛記念館は、昭和48年に旧五郎兵衛新田村の歴史を永く後世に伝えようと設立されました。市川五郎兵衛は、現在の群馬県南牧村(なんもくむら)出身で江戸時代初期に小諸藩の許可を得て用水路を開削し、五郎兵衛新田村を開発しました。その水利の技術は、驚異的に高度なもので、昭和36年まで使われていましたから驚きます。記念館に行ったらビデオを見せてもらうとよいでしょう。
あさしな温泉 穂の香乃湯
開放感たっぷりの露天風呂からは、一面に広がる五郎兵衛新田の田園風景や雄大な浅間山が一望でき、湯に浸かりながらのんびりした時間を過ごすことができます。広い屋外のスペースに、豪快な打たせ湯のある露天風呂があり、人気があります。