<布引山釈尊寺縁起>
牛に引かれて布引の 山々布引く釈尊寺 御寺を詣る人々は 山の縁起をたづね見よ
寺は聖武の御時に 僧の行基が開基より 西行法師も三年へて 晒らす御歌を残しけり
それその昔なつかしく 千曲川辺の赤岩や 信心浅き夫婦等が 世にも稀なる言ひ傳ひ
或日媼は留守居して 川に布をば晒せしが 一匹の牛現れて 布をば角にかけり行く
媼驚き後追いて 北へ走れば善光寺 思はず詣る御仏の 光り仰ぎてひざまづく
戻りて仰ぐ布引や 山風時にあれいでて それかと見れば岩上に 晒せし布を吹きつけぬ
今布岩の名もそれよ 取るにすべなき岩壁を 見る見る媼は日を過し いつか化石となりにけり
翁媼を探しきて 化石となれる悲しみに 岩にまばゆき布見つつ 烟と遂に消へ失せぬ
後人それを憐れんで 祠を立ててまつれるか 牛と化せしもありがたや 聖徳太子の観世音
霊験日々に新たにて 光りかがやく布引の 山の真清水くむ人は 心すまさぬものぞなき


その昔、不信心な老婆が千曲 川に織布を晒していたところ。牛が現れ、その布を角に引っ
かけ走り去りました。強欲な老婆はその牛を追い、気付けば善光寺にたどり着いていた。そこで姿を消した牛の代わりに
お堂に現れた観音様が不信心を諭し、それ以後、老婆は改心 し、情け深い人間として過ごしたといいます。
天台宗布引山釈尊寺が正式な名称。また、信濃三十三観音霊場の第二十六番札所。創建年代は、神亀元年(724年)に行基によって開かれ、天文17年(1548年)武田信玄が楽厳寺入道・布下仁兵衛を攻略した際に一旦焼失。弘治2年(1556年)に望月城主滋野左衛門佐が再建。享保8年(1723年)に再び焼失。現存する伽藍の大半は小諸城主牧野周防守康明によって再建されたもの。