長野原城・瑠璃光薬師堂 |
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長野原城・瑠璃光薬師堂長野原城は、真田氏が造りました。これは瑠璃光堂。 城の入り口にあります。 城には、掘や土塁が残されています。 真田の砥石城の造りに似ています。 細長い稜線上に土塁が築かれています。 これが本丸。建物はありません。 1563年5月、信玄は長野原城の守りを固めさせています。当時、長野原城は、真田幸隆の舎弟、常田新六郎隆永が守っていました。そこに上杉謙信の配下、岩櫃城主、斉藤憲広が長野原城攻略に動きました。 羽根尾城の城主、海野幸光・輝幸兄弟に500騎を、甥の斉藤弥三郎には200騎を与え、また白井城主の白井長尾氏にも援軍を請い、真田勢を攻めました。そして真田幸隆は、敗退します。 やはり上杉軍は強いのです。 まともに戦えば武田軍団には、勝ち目がない。 しかも上杉軍は、利でうごかない。 義で動くので、始末に負えない。 そこで、真田氏は、まともに戦わないことにしました。 もともと同族であったので、血縁を利用して裏切りをさそいます。 内部からの寝返りによって攻めようとします。 これが大成功します。 |
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