湯かけ祭り |
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湯かけ祭り川原湯温泉は吾妻川の渓谷にある静かな温泉です。今から800年ほど前に源頼朝によって発見されたといわれ、草津の湯治の仕上げに入浴された温泉でもあります。ただ八ッ場ダムの建設により数年後にはダムに沈むことになっています。 奇祭、裸祭りとしても有名な「湯かけ祭り」は毎年1月20日(大寒)の早朝に地元の繁栄を祈り、1年の無病息災と平穏無事を祈願して行われます。 400年ほど前、ある日、突然温泉が出なくなってしまった。村人達はたいへん困り果てていたが、ある村人が温泉の匂いをかいだところ、ニワトリの卵をゆでた臭いがしたそうです。 そこで川原湯神社に鶏を奉納しお祈りしたところ、再びお湯が噴きだした。初めは「お湯わいた、お湯わいた」と言ってみんな喜んでいましたが、そのうちに「お祝いだ、お祝いだ」と言いながら、みんなでお湯をかけるようになったというのが「湯かけ祭り」の始まりといわれています。 2004年の湯かけ祭りツアーもうダムに沈むのも、秒読み体制に入った川原湯温泉。湯かけ祭りも、あと何回で終わってしまうのかと思いますと、本当で残念でなりませんが、そのせいか2004年の湯かけ祭りツアーには、平日であるにもかかわらず、大勢の御客様が参加されました。ここで湯かけ祭りについて解説しておきます。川原湯温泉は吾妻川の渓谷にある静かな温泉ですが、今から400年ほど前、ある日、突然温泉が出なくなってしまったと言います。村人達はたいへん困ってたら、ある村人が温泉の匂いをかいだところ、ニワトリの卵をゆでた臭いがしたそうです。そこで川原湯神社に鶏を奉納しお祈りしたところ、再びお湯が噴きだしたのだそうです。「お湯わいた、お湯わいた」と喜んで、みんなでお湯をかけるようになったというのが「湯かけ祭り」の始まりといわれています。 さて、湯かけ祭りとは、どんな祭りか? マスコミの表現を借りれば、 『天下の奇祭』 になりますが、これは当たっていると思います。岸和田のダンジリや、博多の山笠にも匹敵する荒っぽい祭りなんですね。土地の古老に聞きますと、楽しいというお祭りではなく、村中一軒残らず参加しなければならない強制的な祭りで、出なければ家にお湯をかけられたと言います。そういう祭りですから観光客めあての祭りではありません。ですから、第○土曜日という設定にはならず、平日だろうが何だろうが、必ず1月20日にお祭りがはじまるのです。なぜ1月20日かと言いますと、この頃が旧暦の正月頃にあたるからだそうです。 さて、お祭りですが、マイナス10度以下にもなる午前五時頃から、はじまります。紅白に分かれた約五十人の若者たちが「お祝いだ(お湯わいだ)、お祝いだ」と、湯を豪快に掛け合い、辺り一面は温泉の湯気が満ちます。それはもう凄い迫力で、半端ではありません。観光客だろうが何だろうが、無差別に、湯をかけまくります。もちろんテレビ局だって容赦しません。というか、そういう取材陣こそ、まっさきにねらわれます。 だんじりも真っ青の戦う祭!湯かけ祭り報告今年の湯かけは、過去最強でした。 色々な地獄絵図がみられましたね。 ことしは気合いが入ってました。 芸能人も、テレビ局も、ねらい打ちされていました。 このレポーターは、30回くらい、お湯をかぶってました。 集中攻撃されてましたね。 もちろんカメラさんも、照明さんも。 テレビ局にも遠慮無しですよ! 見物客も追いかけ回して、お湯をざぶん! 若い女性の悲鳴が! 中には頭からかぶせられる人も何人か。 自分から、かぶせてもらうひとも何人か。 もう、狂っているとしか言えません。 まさに阿鼻叫喚の無間地獄! 今年は、16名の湯かけツアー参加者がいましたが、 全員が無限地獄を体験してきました ぬれてない人はゼロです。 |
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