円通殿

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円通殿

嬬恋村干俣に干俣小学校がありますが、その隣に円通殿があります。永正年間1504年頃曹洞宗常林寺の住職をしていた旭邦和尚が隠居庵として建て、師(近江の禅寺の円通上人)を偲び円通殿と名付けました。和尚は村人に手習いを教え余生を送ったといいます。で、明治維新後は、この円通殿が小学校となったそうです。

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 ところで私が嬬恋村に来て、驚いたことは寺院の少なさです。私が生まれ育った佐渡ヶ島には、宗教法人名簿に登録されているだけでも、神社は267、寺院が281もあります。しかし、嬬恋村には、寺は2つしかないんです。しかも曹洞宗だけ。他の宗派は無し。大きさは、たいして違いませんよ。

  佐渡島の面積は、約857平方km
  嬬恋村の面積は、約337平方km

そんなに差がないのに、寺院の数、石仏の数は、何百何千倍も違っている。もう一つ言うと、現在の佐渡の寺院は、廃仏毀釈のために江戸時代にあった数の(正確な数字は忘れましたが)半数ぐらいしかのこってないはずです。 つまり、現在のものより膨大な寺院・石仏があり、それを守ってきた島民の信仰がありました。ところが嬬恋村には、常林寺と無量院しかありません。この円通殿も鎌原観音堂も住職はいません。宗教法人の形をなしていません。

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 ところで寺院に関係する建物には堂と殿があります。古くから在った宗派では堂を使いました。観音堂とか阿弥陀堂などです。これに対し、禅宗(臨済・曹洞宗)などでは、本尊を祀る建物を仏殿と言う様に殿を多用しました。円通殿は、建物こそ小さいですが、禅宗様(唐様)の影響を色濃く残したもので、禅宗風の文化がかいまみられます。


シリーズ嬬恋村の文化と自然

 干俣小学校の北西に隣接して円通殿は建つ。正面は3間、側面は変則的3間の方形造りの小型仏寺建築である。屋根はかつて茅葺きであったが今は銅板を被せている。軒は2軒で下の軒は扇垂きとなっている。正面には唐風の破風のついた向拝がある。長押と桁との間の柱の上には枡形の組み物を用い、中備(なかぞなえ)に蟇股(かえるまた)を入れている。木鼻・海老虹梁には簡素な彫刻を用い、彩色も施されている。

 殿内の奥壁に寄せて須弥壇(しゅみだん)が設置されているが、それは3分割され、それぞれに禅宗様の意匠である花頭窓状(かとうまどじょう)の枠で仕切られ諸仏が安置されている。本尊は薬師如来とされている。

 ところで、古老の伝えるところによると、円通殿に隣接する教員住宅の辺りに、常林寺の先住旭邦本輝(きょくほうほんき)和尚が閑居した庵(寮)が在ったとされる。記すまでもなく庵とは僧侶の閑居する仏教的施設である。

 この庵に居住した僧侶には、禅師旭邦本輝和尚をはじめ『浅間大変覚書』の著者と目される雪山唄牛(せつざんばいぎゅう)和尚など著名な僧侶達がいる。この事からここに庵が創立され存続していたのは、18世紀の中頃から19世紀の後半にまで及んだらしい。そして、その名称は”日々庵”と考えられる。

 なお、この庵の創立については、現在円通殿に残る干川小兵衛が奉納した位牌に、「此寮建立一切世話致し、並びに金十両寄,付…」とあり、干俣村の分限者であり、しかも、名主を勤めた小兵衛が係わっていたこともわかる。

 通常、寺院に関係する建物には堂と殿とがある。古くから在った宗派では堂を使った。観音堂とか阿弥陀堂などがそれである。これに対し、禅宗(臨済・曹洞宗)などでは、本尊を祀る建物を仏殿と言う様に殿を多用した。

 円通殿は小型ではあるが構造・技法・意匠・名称共に、禅宗様(唐様)の影響を色濃く残したもので、日々庵に所属した仏殿と見られる。そしてそれは、この山里に禅宗風の文化が開花した事を示すと共に、これが信仰と文化の拠点で在った事を物語っている。

松島榮治先生の講義録より