芭蕉の句碑と筆塚

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芭蕉の句碑と筆塚

 大笹神社境内南隅に建つ。万座・鹿沢口駅から国道144を田代湖方面に向かうと、左折する県道大笹・北軽井沢線をはさんで、村指定文化財である芭蕉の句碑、無量院の五輪塔、大笹関所跡が点在する。芭蕉の句碑は、大笹神社境内の鳥居前にあり、嘉永6年(1853)に建立。碑には「雲雀啼なかの拍子や きじの声/はせを翁」(猿蓑の句)と刻まれている。




芭蕉の句碑

 芭蕉は正保元年(1644年)伊賀国(現在の三重県)上野藩の士族の家に生まれ、はじめ貞門俳譜、のちに談林風にも親しんだ。延宝8年(1680年)江戸深川の芭蕉庵に移り、俳譜師としての生活をたてる一方「野ざらし紀行」によって、正風俳諸を確立した。以後芭蕉は、全国各地を行脚遍歴し「奥の細道」など不朽の名作を残したが、残念なことに群馬県内には来遊したことはなかつた。しかし、その句碑は210基にも達している。

 大笹神社の境内に、芭蕉の句碑が建ったのは、芭蕉没後より159年を経た嘉永6年(1853年)のことであった。碑面には元禄4年(1691年)に編まれた『猿蓑』の中から

「雲雀啼くなかの拍子や、きじの声」

が採られている。 碑の右側面には、建碑の記年銘と「一夏庵竹烟敬書」とある。背面には、世話人として、「欄陵館卓夫」など、地元の俳人8名の名を連ねている。

 上州においても、俳譜の先駆をなしたものは、貞門と呼ばれる派であったが、その後、談林派がおこり、やがて、正風とされる芭蕉派が台頭し、芭蕉の作風を慕う人達によって、ひときわ盛んとなった。

 とくに近世中期には、上毛俳人の代表とされる黒岩鷺白がいる。鷺白は草津温泉宿亭の主人で、正風俳譜の正統派を継承した。後期になると、天下の名流といわれる田川鳳朗門下で、名の聞こえた2人の上毛俳人がいた。その一人が草津の坂上竹烟である。竹烟は、諸国を遊歴した後、天保11年(1840年)草津に定住し、一夏庵を開き、後進の指導にあたった。この句碑の碑文の書者でもある。

 文人の嗜みとされた俳譜は、近世後期となると、広く一般化し、庶民の間に大きな広がりをみた。こうした中にあって、一夏庵竹烟は、嬬恋地域の多くの入達に、正風の俳譜を伝えたのである。大笹神社境内の芭蕉の句碑は、その記念碑であると同時にその頃の嬬恋地域の、庶民文芸隆盛の一端を、具体的に示すものである。

松島榮治先生の講義録より
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