信綱寺 |
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信綱寺・曹洞宗この寺ははじめ、字梅ノ木にあって好雪斉大柏寺といいましたが、後に現在位置に移して大柏山打越寺と称しました。やがて信綱が須坂興国寺から順京和尚を招いて、大柏山信綱寺としました。文録3年の昌幸文書によると、信綱寺は兄信綱の位牌所として建立されたと有ります。境内には信綱夫妻の墓や、墓前の桜という樹齢400年の古い桜があり、宝物館には長篠の合戦で討死した信綱の首級を包んだとされる、血染めの陣羽織が伝えられています。 長野県上田市真田町長8100 TEL 0268-72-2204(上田市真田地域自治センター 産業観光課) 料金 境内自由 信綱夫妻、昌輝の墓信綱は真田幸隆の長男として生まれ、父の死後家督を継ぐが、天正3年の長篠の合戦で、弟昌輝(幸隆の次男)と共に戦死している。信綱の首は、家臣の白河兄弟の手によって真田に持ち帰られ、信綱寺に葬られた。墓は左から信綱夫人、信綱、昌輝。血染めの陣羽織長篠の合戦で戦死した信綱が着用していたと伝えられる。家臣の白河兄弟が信綱の(兜に収めた)首を持ち帰る際にこの陣羽織(右上の写真)にくるんで持ってきたといわれている。また 勇猛果敢だった信綱が愛用した鎧胴や、昌幸から信綱寺に宛てられた書状などが宝物館に納められています。(宝物館は入館100円、要事前連絡) |
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