松島榮治先生の論文集
■はじめに
■今井東平遺跡の調査とその成果
@黒色磨研注口土器
A敷石住居跡
■修験道関係資料の調査
@万座温泉の“礫石経”
A華童子宮跡
B三原出土の経筒
C今宮白山権現
D熊野神社の奥ノ院
■埋没村落「鎌原村」の調査
@埋没した鎌原村
A鎌原村の発掘
B発掘調査の成果
■峠を越えての文化の流入
@縄文文化繁栄の背景
A修験道隆盛の背景
B鎌原村の生活文化の背景
■おわりに
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峠を越えての文化の流入
−嬬恋村の歴史的発展の中で−
松島榮治
はじめに
嬬恋村は、群馬県の西部および吾妻郡の西端に位置し、東方に草津町・長野原町に接するほか、北方、および南方は長野県に接する。村域は東西17キロメートル、南北27キロメートルに及び、その面積は、336.05キロメートルで県下第3位の広さである。標高は、大前の役場地点で850メートル。南部に浅間山(2,568メートル)、北部に草津白根山(2,162メートル)、西部に吾妻山〈四阿山〉(2,354メートル)と、三方を2,000メートル級の山々に囲まれた標高1,000メートル前後の高原の村である。
その気象条件は、前橋気象台の資料によると、標高771メートルの三原区の年平均気温は10.1度℃。標高1,230メートルの田代区の年平均気温は7.6度℃とされ、村の主要な生活の舞台である両者の中間部分の年平均気温は8.9度℃となり、札幌の7.8度℃に近いものがある。
嬬恋村はこのような山奥山間の厳しい自然環境にあるため、ここに住む人達の間には潜在的に僻地意識があり、歴史観は総じて低く、あえて言うならば僻地史観ともされるものがある。その僻地史観は、時に実在しない架空の人物を取り上げて、その事績を紹介したり、史料的に不確かな事象を恰も実在したかのように取り上げるなど科学性・合理性を欠く場合も多く、僻地史観の裏側はとかく問題とされる部分が多い。
ところで、嬬恋村は果してこうした僻地史観によって語らなければならない地域なのだろうか。
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