松島榮治先生の論文集
■はじめに
■今井東平遺跡の調査とその成果
@黒色磨研注口土器
A敷石住居跡
■修験道関係資料の調査
@万座温泉の“礫石経”
A華童子宮跡
B三原出土の経筒
C今宮白山権現
D熊野神社の奥ノ院
■埋没村落「鎌原村」の調査
@埋没した鎌原村
A鎌原村の発掘
B発掘調査の成果
■峠を越えての文化の流入
@縄文文化繁栄の背景
A修験道隆盛の背景
B鎌原村の生活文化の背景
■おわりに
|
C今宮白山権現
前に記したように『加沢記』では、浅間山と吾妻山では白山権現を祀り、その上州里宮は三原の郷に在ると記している。その上州里宮について、『嬬恋村誌』などでは、今井区の国道144号線沿いの西吾妻衛生センター前の地を当てているが、その妥当性は少ない。それはさておき、嬬恋村今井区の西窪淳氏所蔵の石造塔の台石の銘文では、
奇進社領之事、右所滋野滝下□
□・今宮白山権現に永代奇進申
所也、子々孫々に於、不可有以
疑、若いぎ申物ハ、権現之御ふ
けうた畄可也仍為後日状如件
應仁三年巳丑十一月吉日
大旦那滋野朝臣景幸
と記している。
その意味するところは在地領主である羽尾景幸が、應仁三年(1469)今宮白山権現に、社領を寄進したとのことである。 領主の白山修験の信仰の高さを表している。
|