松島榮治先生の論文集
■はじめに
■今井東平遺跡の調査とその成果
@黒色磨研注口土器
A敷石住居跡
■修験道関係資料の調査
@万座温泉の“礫石経”
A華童子宮跡
B三原出土の経筒
C今宮白山権現
D熊野神社の奥ノ院
■埋没村落「鎌原村」の調査
@埋没した鎌原村
A鎌原村の発掘
B発掘調査の成果
■峠を越えての文化の流入
@縄文文化繁栄の背景
A修験道隆盛の背景
B鎌原村の生活文化の背景
■おわりに
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A鎌原村の発掘
鎌原村の発掘調査は、「埋没村落(鎌原村)総合調査会」(代表児玉幸多元学習院大学学長)によって、昭和54年に始まり、その後、嬬恋村によって引き継がれ、平成3年までの間、13次にわたって実施された。
その間の主な調査は、・観音堂の石段、・十日の窪の埋没家屋・延命寺跡などであるが、観音堂の石段の調査では、これまで120〜150段とされてきた石段の段数が、50段であることを明らかとし、災害の規模・状況についての確かな資料を得ることができた。同時に、石段の基部から40才前後の女性が、60歳前後の女性を背負う姿の2人の遭難者を発見しこれを収容し、緊迫した情勢を窺わせた。
十日ノ窪の埋没家屋の調査では、確認された3棟の家屋の内、中央の家屋1棟をほぼ完全に掘り上げる共に、その家で使用されていた生活用品を、三百数十地点にわたって総数千二百余点を発見し収集した。
延命寺跡の調査では、その寺域とそこに配置されていた本堂・庫裏・納屋などの建物を確認すると同時に多くの仏具や生活用品などを発見し、延命寺の存在を明らかとした。
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