はじめに 発掘誌 文化と自然1 文化と自然2 文化と自然3 文化と自然4 風土博物館
■文化と自然2

028.産馬の業
029.浅間山溶岩樹型
030.大笹駅浅間碑
031.万座温泉事始め
032.風土博物館の構想
033.小串鉱山探訪の記
034.中居屋重兵衛
035.鹿沢温泉繁盛記
036.鬼押出しの溶岩流
037.湯の丸レンゲツツジ群落
038.盛だった村芝居
039.無量院の五輪塔
040.抜け道の碑
041.華童子げどうじの宮跡
042.歴史の道「毛無道」
043.円通殿
044.今宮白山権現のこと
045.芭蕉の句碑
046.今井東平遺跡出土の土偶
047.延命寺の碑
048.田代地区の両墓制
049.ホタルのひかり
050.『片栗粉』の商標
051.帰ってきた小仏像
052.万座温泉の『礫石経』
053.東平遺跡の敷石住居跡
054.浅間山について

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029.浅間山溶岩樹型

 群馬県には2つの国指定の特別天然記念物がある。その1つは浅間山の北斜面にある「浅間山溶岩樹型」で、他の1つが「尾瀬」である。浅間山溶岩樹型は、富士山北麓の青木ヶ原の溶岩樹型と共に有名である。

 この発見は、昭和の初年にまで逆上る。そしてその場所は、鬼押出しの東に位置する「上の舞台の西区域」と「一本松区域」、さらに「鬼押出しの西側区域」が知られている。この内、468個の多数をようする鬼押出し西側区域のものは、昭和27年付けで国指定の特別天然記念物に認定された。

 このため嬬恋村では、全区を四区画に分け、その内の三区画の土地を公有地化するなどの保護・管理計画を立て、昭和50年から、国・県の補助を受けて土地の買い上げを開始し、保護と活用のための施策に着手した。しかし、その後目立つ進展はみられない。

 去る晩秋の頃、その溶岩樹型を訪ねた。道路案内標識にそって、浅間山北麓の地を奥へ奥へと進んだ。樹林は尽きない行き交う車もない。漸くにして現地に辿り着くことできた。すると微かな人の気配、近づくと田村喜七郎さんが、1人黙々と枯れ枝の始末をしておられた。

 その田村さんの案内で、散在する溶岩樹型をみた。その多くは直径1メートル、深さは3メートル前後のものが多かった。井戸のような状態で、内側には小型の溶岩が樹幹にそって、石垣状をなしていた。

 溶岩樹型とは、「比較的流動性が大きく、しかも、適度の温度を保った溶岩流や火砕流が、森林地帯を流れ下る時、木立を回りから取り囲む。その際、木質部は燃え尽くされ、溶岩は、その周囲で冷えて固まる。こうしてできた樹幹の型を言う」とある。

 天明3年8月4日の夕刻、アカマツやシラカバなどで構成された原始林が、火砕流とされる現象で、埋まりそして焼き尽くされた。溶岩樹型は、その状況を彷彿として蘇らせてくれる。