はじめに 小論集 文化と自然1 文化と自然2 文化と自然3 文化と自然4 風土博物館
■文化と自然3

055.万座のゴヨウマツ
056.蛇の飾りの付いた土器
057.瀬戸の滝と不動さん
058.東平の赤色塗彩土器
059.常林寺の本堂
060.鳴尾の梵字岩
061.“丁石”百番観音像
062大前という地名
063.天仁元年の大噴火
064.月待ちの夜
065.吾妻山登頂の記
066.鎌原城の今昔
067.嬬恋村の獅子舞
068.種苗管理センター嬬恋農場
069.袋倉の獅子舞
070.近代文学の中の嬬恋その1
071.近代文学の中の嬬恋その2
072.大前の獅子舞
073.干川小兵衛のこと
074.浅間押し供養碑
075.黒岩長左衛門の事績
076.鎌原の獅子舞
077.大笹の獅子舞
078.下屋家文書
079.アンギンに挑む
080.嬬恋村の古代

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060.鳴尾の梵字岩

 梵字は古代インドの文語を表記するために用いられた文字である。中国や日本では、梵字のもつ呪術的要素が強調され、広く仏教的な文物に取り入れられるようになった。とりわけ日本の中世以降には、石塔や板碑などで、梵字1字が一定の仏を表すようになった。

 門貝地区鳴尾の熊野神社参道入り口右側には、高さ約4.2メートル、下幅5.1メートル程の安山岩の巨石があり、その表面上部には、縦横20センチ程度の大きさで、力強く5つの梵字が刻まれている。

 その中で最も顕著なものは上部の3字で、三角形の頂点にあたる部分には『キリーク(阿弥陀如来)』底辺の右端が『サ(観音菩薩)』で、左端は『サク(勢至菩薩)』である。他にサクの下方に『バイ(薬師如来)』サの下方には『カーン(不動明王)』とみられる梵字が刻まれている。

 このことによって巨石に刻まれた梵字は、いわゆる“弥陀三尊”と、他に薬師・不動の二尊であり、これが仏教的な信仰の対象であることは確かである。しかし、これが刻まれた時期については確かなことはわからない。
ところでこの梵字岩と深く係わりをもつとみられる、熊野神社の奥の院には『アーンク(大日如来)』とされる梵字が刻まれ、文保3年(1319)とみられる紀年銘がある。

 このことから、参道入り口の巨石に梵字が刻まれたのは、今からおよそ700年も遡る14世紀前半のことと思考される。

 阿弥陀如来は、念仏修行や功徳を積み重ねることによって、人の生命が終わろうとする時、その魂を西方浄土へ連れていってくれるのだと経典は説いている。そして弥陀三尊像は、阿弥陀が観音などの菩薩をひきつれ、死した信者の魂を来迎する姿だと言う。

 この梵字岩に刻まれた阿弥陀三尊像を象徴する信仰は、大日如来を中心仏とする熊野神社の信仰(修験道)とは別なものである。なぜ、熊野神社参道入り口の巨石に阿弥陀三尊像と薬師如来・不動明王の二尊が刻まれたのか、謎は深まるばかりである。