はじめに 小論集 文化と自然1 文化と自然2 文化と自然3 文化と自然4 風土博物館
■文化と自然3

055.万座のゴヨウマツ
056.蛇の飾りの付いた土器
057.瀬戸の滝と不動さん
058.東平の赤色塗彩土器
059.常林寺の本堂
060.鳴尾の梵字岩
061.“丁石”百番観音像
062大前という地名
063.天仁元年の大噴火
064.月待ちの夜
065.吾妻山登頂の記
066.鎌原城の今昔
067.嬬恋村の獅子舞
068.種苗管理センター嬬恋農場
069.袋倉の獅子舞
070.近代文学の中の嬬恋その1
071.近代文学の中の嬬恋その2
072.大前の獅子舞
073.干川小兵衛のこと
074.浅間押し供養碑
075.黒岩長左衛門の事績
076.鎌原の獅子舞
077.大笹の獅子舞
078.下屋家文書
079.アンギンに挑む
080.嬬恋村の古代

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064.月待ちの夜

 月は太陽とは異なり満ちては欠け、欠けては満ちる現象があり、これが人々の心を引き附けた。古人は、この現象を繁っては枯れ、生まれては死ぬなど、地上の生命現象と重ね特別の感情を抱いたのである。月に対する信仰と伝説はここに起因する。

 それに基づく行事には、十五夜の他、月の出を待つ行事としての十六夜、十九夜、二十一夜、二十二夜、そして二十三夜などがある。この内十五夜は、どちらかと言えば、月の恵みに感謝し、併せて名月を鑑賞するものであったが、十六夜に始まる月待ちの行事は、さまざまな願いをこめた現世利益的なものであった。

 特に、二十三夜の月待ちの行事は、県内そして全国的にも広く実施され、三夜様とか三夜待ちとも言われ、最も普遍的なものであった。この夜は、隣近所の者が宿に集まり、月に供物をしたり、飲食を共にしながら、月の出を待ち、夜を徹して除災と幸福を祈るのが一般的な形とされている。

 嬬恋村で、このような二十三夜の月待ちがどのような形で行われていたか、その資料は少ない。しかし、かつてこれが行われていたことは確かである。群馬県教育委員会が昭和47年に実施した民俗調査の報告書『嬬恋村の民俗』によると、今井、鎌原、芦生田、大前などの実施事例が紹介されている。

 特に目立つものとして、今井では「月が上がると“南無二十三夜トク太子”と拝み、線香や団子を供える。帰りは夜明け近くになる」と記している。また、大前では「饅頭を二十三個つくり、それを月が見える所に供え“オンコロコロセンダリマトオギソワカ”と、3回唱える」と記している。なお、トク太子とは、二十三夜の主尊である“得大勢至菩薩”のことであり、オンコロコロ……とは“薬師如来の真言”であると解釈されている。

 また、嬬恋村教育委員会で発行した『嬬恋村の石造物』によると、田代、干俣、西窪、芦生田、袋倉の各地区に「二十三夜塔」が在る事を記している。

 特定の日にムラ内の仲間が集まって、その夜の月の出を待ち、それを拝しお祈りをする事は、遠く原始信仰の月の崇拝に始まるとされる。月はまさに“母なる大地の神”だったのである。