はじめに 小論集 文化と自然1 文化と自然2 文化と自然3 文化と自然4 風土博物館
■文化と自然3

055.万座のゴヨウマツ
056.蛇の飾りの付いた土器
057.瀬戸の滝と不動さん
058.東平の赤色塗彩土器
059.常林寺の本堂
060.鳴尾の梵字岩
061.“丁石”百番観音像
062大前という地名
063.天仁元年の大噴火
064.月待ちの夜
065.吾妻山登頂の記
066.鎌原城の今昔
067.嬬恋村の獅子舞
068.種苗管理センター嬬恋農場
069.袋倉の獅子舞
070.近代文学の中の嬬恋その1
071.近代文学の中の嬬恋その2
072.大前の獅子舞
073.干川小兵衛のこと
074.浅間押し供養碑
075.黒岩長左衛門の事績
076.鎌原の獅子舞
077.大笹の獅子舞
078.下屋家文書
079.アンギンに挑む
080.嬬恋村の古代

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076.鎌原の獅子舞

 安政7年(1860)鎌原村の名主であった金兵衛の記した『浅間山焼荒之日并其家并名前帳』によれば、「当鎌原村の儀は、天明3年浅間押出し、

……土中にうずみ、何品に不限天明2年以前の姿は無之……

と記している。虚無の地と化してしまったのである。それが何時の頃のことか、この地に獅子舞が取り入れられ今日に伝承されてきたのである。

 鎌原の獅子舞は、1年のうち2回、春は4月30日、秋は9月9日、鎌原神社の宵祭りの際に実施されている。当日は、保存会などの人によつて周到に準備され夕刻を期して、まず、拝殿前で神前奉納が行われる。その後は、神社を出て区内6カ所において舞われるのである。

 この獅子舞は、保存会長横沢基夫さんによれば、長野県の諏訪から伝えられたと言う。それを裏付けるかのように、鎌原の獅子は、獅子頭に1人、後かぶり2人で舞う”三人立一匹獅子”とされるもので、北陸・中部地方にみられるものである。

 囃子方は、1人で打つ太鼓・締太鼓、数人によって奏でる笛によって構成され、舞はこれらの囃子方によって進行される。舞の構成は「片拍子」とされる入場の場面に始まり、‘ヨーイ’の掛け声で「序の舞」に移る。‘シメタラコキアゲロ’の掛け声で「鈴の舞」となる。この時提灯を持った子供たちが舞の中に入る。獅子のお出ましを歓迎するかのようである。獅子はこれを受けて、気合を掛かった舞と、静かな舞いを交互に繰り返す。

 舞はその後、「御幣の舞」へと移る。その時、

〈舞いりゃするハ
ヤレー神を
ドンドンいさめられたら
ひとおどりはなつ
おおどりすぎたら
またきて舞いましょ
それはヨイトコショ〉

などの舞唄も入る。

 この後、いよいよ「厄払いの舞」となる。地に這うように身構えた獅子がじょじょに立ち上がり、激しく誰彼となく噛みつく動作を繰り返す。周囲は騒然となり、まさにクライマックスの状態に達する。

 これら獅子の舞う一連の動作は、約15分と比較的短いものであるが、そこには、かつて未曾有の災害を受けた地に住む区民の、神を鎮め五穀豊穣と除災招福の願いが込められている。