はじめに 小論集 文化と自然1 文化と自然2 文化と自然3 文化と自然4 風土博物館
■文化と自然4

081.花開く“草莽の文化”
082.的岩を訪ねる
083.コメコメについて
084.トックリ穴の洞窟
085.信州街道の中の嬬恋
086.潤いを求めて
087.田代牧場のこと
088.環境教育について
089.信州加澤郷薬湯縁起
090.鬼岩を訪ねる
091.石樋を訪ねる
092.いのち・家族の学習
093.西窪城に想う
094.舞台公演される“浅間”
095.大前村のこと
096.三原三十四所観音札所
097.三間取りの家
098.嬬恋にあった巨大な湖
099.よみがえった延命寺
100.噴火予知への試み
101.ロウ石山”を訪ねる
102.吾妻鉱山について
103.石津鉱山を訪ねる
104.嬬恋村の近代化遺産
105.キャベツ栽培の展開
106.終わるにあたって

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086.潤いを求めて

資料館のロビーには、何時からともなく1枚の油絵が飾られてきた。30号ほどの大きさで、画題はなく隅には、N・kuroの署名がみられる。

その絵は僅かに鉄さび色を混ぜながら、緑と黒を基調にした面的な広がりが、上から下方に向けて塗り重ねられている。上端部分には、カボチャをはじめとした果実と見られるものが2カ所に盛られている。しかし、この絵は単なる「静物画」とは思えない。塗り重ねられた画面全体に、作者のただならぬ制作の意図を滲ませている。

作者であるN・kuroとは記すまでもなく黒岩信之さんのことである。彼は、大笹に生まれ西中で学び、上田の高校を経た後、東京芸術大に進み、昭和52年同大学を卒業した。その後、彼はドイツのミュンヘン芸術アカデミーに入学し、57年の秋、胃ガンのため30歳の若さで亡くなったのである。

芸大の時の指導教官であった大沼映夫教授は、『追悼文集』の中で、「感性の素晴らしさ」を讃え、「今後の仕事が軌道に乗り、本物になりつつあるのが分かりすぎるほど理解できていた」とし、その早世を階しんでいる。

資料館のロビーに飾られた1枚の絵は、その黒岩信之さんの遺作だったのである。

資料館には、もう1枚の油絵がある。浅間山麓にアトリエを構え、十数余年にわたって、主に嬬恋の自然を描き続けてきた画家高谷洋一さんの絵である。高谷さんは、このほど「天明三年浅間山焼け図」とされる150号(縦2.5メートル、横2メートル)の大作を完成させ高い評価を得たが、昨年秋、高谷さんはその絵を資料館に寄贈されたのである。

寄贈された高谷さんの絵は、資料館の1階から2階にかけての壁面に飾られているが、その臨場感と迫力は、見る人を圧倒させると共に驚嘆させている。

今、仮に嬬恋村の“村づくり”のキーワードを文化による“潤い”としてみよう。志半ばで天逝した黒岩信之さんにしても、嬬恋の地にアトリエを構えて、嬬恋の自然を描き続けている高谷洋一さんにしてみても、その制作の原点は、潤いを求めてのことと思考される。

資料館ではこの程、高谷さんの作品38点をお借りして「高谷洋一油絵展」を開催した。もとより《文化による潤いのある村づくり》を目指してのことである。