はじめに 小論集 文化と自然1 文化と自然2 文化と自然3 文化と自然4 風土博物館
■文化と自然4

081.花開く“草莽の文化”
082.的岩を訪ねる
083.コメコメについて
084.トックリ穴の洞窟
085.信州街道の中の嬬恋
086.潤いを求めて
087.田代牧場のこと
088.環境教育について
089.信州加澤郷薬湯縁起
090.鬼岩を訪ねる
091.石樋を訪ねる
092.いのち・家族の学習
093.西窪城に想う
094.舞台公演される“浅間”
095.大前村のこと
096.三原三十四所観音札所
097.三間取りの家
098.嬬恋にあった巨大な湖
099.よみがえった延命寺
100.噴火予知への試み
101.ロウ石山”を訪ねる
102.吾妻鉱山について
103.石津鉱山を訪ねる
104.嬬恋村の近代化遺産
105.キャベツ栽培の展開
106.終わるにあたって

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094.舞台公演される“浅間”



昨年5月、作家立松和平は、天明3年浅間山の噴火によつて埋没した“鎌原村”を題材とした小説「浅間」を雑誌『新潮』に発表し、9月には単行本として新潮社から刊行した。これを受けて、NHKのFMラジオでは1月3日「オーディオドラマ浅間」として放送したが、劇団スケッチ座(代表清水こうせい)でも、この演劇化に取り組み、この程、池袋サンシャイン劇場をはじめ各地で公演することとなった。
こうした動きの中で、劇団側は、小説の舞台となった嬬恋村での公演を希望し、過日、村内関係者が集まり検討した結果、村内での舞台公演が実現することとなった。
舞台化される小説「浅間」の粗筋は、山深い鎌原宿の貧しい家に育ったゆいは、16才の春、中山道の板鼻宿へ3年間の年季奉公に出た。不本意な奉公生活の中で、ゆいは決して将来の希望を失わなかった。蚕種を持ち帰り、故郷に恵みをもたらせようとするものであった。
難儀な3年間の奉公が明け、ゆいは蚕種を持って村に帰ったが、村人のゆいを見る目は必ずしも温かいものではなかった。しかし、延命寺の和尚などに支えられて、万次郎とも結ばれ、養蚕の飼育も軌道に乗り、村は活気づき平穏な日々を迎える。ところが、それも束の問、浅間山の噴火によって、村は一瞬にして埋め尽くされ荒涼とした姿と化してしまったのである。
ゆいは生き残った。夫の万次郎、娘のすま、母のとよの姿は無かった。何もかも失ったゆいは、村の復興のため新しい家族に編成され、蚕のように4度目の苦難を経て蘇るのであった。
舞台となった鎌原村に伝わる古文書に、弘化4年(1847)鎌原村の百姓が大戸村の加部安左衛門に宛てた「奉公人差し出しの証書」がある。
それによると、23才の娘を、身代金及び支度金など併せて4両2分で1ヵ年の年季と定めるとある。4両2分とは、米に換算すると約5俵分で、これを現在の貨幣価値で表すと15万円前後にしかならない。しかも、その代金は、娘本人に渡されるのではなく、親元へ渡されるのである。
小説や舞台で公演される「浅間」は、決して史実ではない。しかし、全くの虚構ではない。学ぼうとする強い意志と感性に対して、何らかの刺激を与えてくれる筈である。