はじめに 小論集 文化と自然1 文化と自然2 文化と自然3 文化と自然4 風土博物館
■文化と自然4

081.花開く“草莽の文化”
082.的岩を訪ねる
083.コメコメについて
084.トックリ穴の洞窟
085.信州街道の中の嬬恋
086.潤いを求めて
087.田代牧場のこと
088.環境教育について
089.信州加澤郷薬湯縁起
090.鬼岩を訪ねる
091.石樋を訪ねる
092.いのち・家族の学習
093.西窪城に想う
094.舞台公演される“浅間”
095.大前村のこと
096.三原三十四所観音札所
097.三間取りの家
098.嬬恋にあった巨大な湖
099.よみがえった延命寺
100.噴火予知への試み
101.ロウ石山”を訪ねる
102.吾妻鉱山について
103.石津鉱山を訪ねる
104.嬬恋村の近代化遺産
105.キャベツ栽培の展開
106.終わるにあたって

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100.噴火予知への試み



浅間山頂から北方斜面を直線距離にして約7キロ、「鬼押出し溶岩流」の末端、標高1180メートル地点に「嬬恋村上水道第一水源(鎌原用水源)」はある。この水源は、毎時450トンの豊富な湧出量と、一年を通して水温4度と、安定した良水を供給する水源として、昭和47年以来利用されている。
この湧水について、岩上武氏所蔵の古文書の中に、次のような記述がある。
「天明3年浅間山噴火の際、浅間腰から温泉が湧出したので翌4年正月に役所にお願いし、大笹宿に湯を引くこととし、黒岩長左衛門が費用を出して事業に取りかかり、左太夫屋敷へ湯小屋を建て、5年7月には完成したので開湯した。」とある。
大笹宿に開かれた湯宿はその後、「湯治規定」や「長左衛門の事業への出費状況」から見ると、その営業は享和元年(1801)頃までの20年近く続いたらしい。廃業の理由は明らかではないが、どうやら湯温の低下にあったらしい。
これらのことにより、嬬恋村上水道第一水源の湧水が、天明3年の浅間山噴火の際に高温となり、それが温泉として20年近く利用されていたことは確かである。
浅間山と向かい合って生活する嬬恋村にとって、火山災害は避けて通れないことでもある。こうした中で、火山災害を最小限にくい止める方策の1つに、噴火の予知体制を確立し、その機能を発揮させることがある。ところで、これについては、これまで、国の専門機関や大学の研究機関に任されてきた。
こうした状況の中にあって、嬬恋郷土資料館では、嬬恋村上水道第一水源において、9月16日から平成18年7月まで、毎日1時間毎の水温計測を開始した。また、これと平行して、噴火活動状況の変化に応じて、適宜計測を行うこととした。
天明3年の湧水の温度の上昇が、溶岩流によって熱せられたことによるものか、それとも“マグマ”の活動に係わるものかその原因は必ずしも明らかではない。しかし、若し、マグマの活動に係わるものとしたら重要なこととなる。それは、噴火の予知に利用できる可能性を秘めているからである。
資料館は、専門性の高い研究分野に参画すると同時に、過去の事例を現在に生かすことができるかどうか、歴史学の命題に取り組み始めたのである。