はじめに 小論集 文化と自然1 文化と自然2 文化と自然3 文化と自然4 風土博物館
■風土博物館

1.序文
2.嬬恋村風土博物館の提案
3.嬬恋村整備構想

4.鎌原地区整備構想
  
4-4.埋没村落整備構想
     
@鎌原観音堂石段
     
A延命寺跡
     
B十日ノ窪民家跡
  
4-5環境整備構想
     
@全体計画
     
A街並
     
B延命寺跡周辺
     
C資料館周辺

5.推進計画
6.調査計画

■サイトマップ
■リンク
■トップページへ戻る

4.鎌原地区整備構想

 4−1現況
 天明3年(1783)の浅間山の噴火によって村落のほぼ全域が埋没した鎌原地区は、全国的に見ても特異な歴史を持っ地域で、当時の状況を今に伝える遺構も数多く発掘・発見されている。
 現在の家並は、埋没した村落の上に再建された集落であり、南北を貫く街道沿いに民家が建ちならび、その東側に鎌原神社・西側には石段の中途まで埋没した鎌原観音堂をはじめ延命寺跡・十日ノ窪など噴火により埋没した寺院や民家の跡がある。更にその西には、現在の幹線道路である有料道路浅間・白根火山ルートに沿って、嬬恋郷土資料館や嬬恋村創作実習館、食堂・土産物店など、主として観光客を迎え入れる諸施設が集まっている。
 鎌原地区は、資料館・鎌原観音堂を中心に、嬬恋村の文化財及び観光資源が数多くあり、現在も重要な位置を占めてはいるものの、鎌原地区全体の整備はなされておらず、嬬恋村風土博物館の一拠点として、また中核施設としての役割を担うにはまだ不十分といえるであろう。
 鎌原地区を文化財的観点から見ると、天明3年(1783)の浅間山の噴火によって埋没した観音堂の石段や延命寺跡、十日ノ窪の民家跡など当時の災害の状況を顕著に示すもの、その後復興され、宿場集落として再び繁栄を取り戻した鎌原地区の街並、その集落のあちこちに見られる道祖神や石殿、道標などの石造物が代表的なものとして挙げられる。


 4−2基本方針

 前節のような歴史を有する鎌原地区に、風土博物館の理念によって整備を推進していくためには、文化財保存整備・観光資源の活用・地区住民の生活との協調などの多元的視点を持って整備を進めることが必要である。鎌原地区の整備要素は、.没村落に関するのと・その後復興し・現在歴史一的な県競をたたえてい繭並とに木男1れる・これら二大要素の総合的な整備を行い、鎌原地区全体を嬬恋村風土博物館の中核施設として機能させることを、本構想の主眼とする。


 4−3整備対象

 鎌原地区での整備対象は右表の通りである。

 鎌原地区の整備要素は多岐にわたるが、第一に鎌原地区を象徴するものは、天明3年(1783)の浅間山の噴火の被害を最も受けた集落、いわゆる『埋没村落』であろう。これに直接的に関連するものを、
 【対象T】埋没村落整備とした。
 また、現存する歴史的な街並の整備や史跡探訪のための歩道整備などと、資料館や創作実習館の活用など鎌原地区を風土博物館の中核施設とするための施設整備を、
 【対象U】環境整備とした。


 【対象T】(A・B・C)の埋没村落整備は、天明3年浅間山噴火当時における、鎌原村の被害状況を如実に物語る鎌原観音堂の石段を始め、延命寺跡や十日ノ窪埋没民家の露出展示や状況展示・体験発掘及び復元等の整備を対象とした。

 【対象U】(D・E・F)の環境整備では、整備対象として、鎌原の歴史的街並の民家や街道の修理・修景、鎌原地区を風土博物館として周遊させるための遊歩道整備や便益施設の設置、資料館周辺の諸施設や来訪者受入れのための導入標識などを含めた鎌原地区全域を中核施設とするための施設整備を対象とした。


整備対象一覧表(別表)


4−4 埋没村落整備構想

 対象T の埋没村落整備は、鎌原観音堂石段・延命寺跡や十日ノ窪埋没民家の3か所の地点における露出展示や状況展示・体験発掘及び復元等の整備を対象とした。

@鎌原観音堂石段(A)

 鎌原観音堂は、鎌原の集落の中で最も観光客の集まる場所であり、かつ地域住民の信仰も篤いお堂である。しかし・境内は・土産物店・四阿・トイレ等がやや乱雑に配置されており・観音堂境内の景観としてふさわしいとはいえない。
 整備対象の中心となっている石段は、現在も埋没をまぬがれた上部15段が使用されており、埋没した石段の状況は、橋を架け地面を掘り下げて、数段が見学できるようになっている。
 本構想では、観音堂境内に地下空間を設置し、石段だけでなく、当時の地表も露出させ、天明3年当時の視界を体験させる。また地下空間内部では、天明3年浅間山の噴火に関する展示を充実させ、土層断面のはぎ取り展示なども行う。
 上部は、木工地盤とし、現在の観音堂への通路部分の景観を損なわないよう周囲と一連の地盤となる構造とする。

・内部空間として、観音堂・石段・当時の地表が一望できる「埋没以前の視界」を確保する。
・内部では、天明3年に鎌原村を埋没させた押出しとされる現象などの展示を充実させる。
・土留め壁面は、展示に活用するほか、土層断面のはぎ取り等を用いた修景を行う。
・上部は、周囲と一連の地盤となる構造とする。
・土留め工法は、極力遺構に影響しないものを選定する。


鎌原観音堂整備方針図(省略)

内部(地下施設):観音堂の埋没石段や当初の地表など、天明3年以前の景観を露出する。また、噴火当時の状況をつたえる展示や地層断面のはぎ取り等、展示空間として利用する。

上部(人工地盤):現在の景観を損なわないよう、植栽などを施し、周囲と一体化させる。

A延命寺跡(B)
 延命寺跡は、鎌原地区が見渡せる高台に位置し、周囲を畑や雑木林に囲まれており、第6次にわたる発掘調査によって本堂・庫裏・納屋等が確認されている。
 遺構は現地表面より約6.5m下の天明3年当時の地表面に、その存在が確認されており、観音堂境内には、天明3年の浅間山の噴火の際に流失し、明治43年吾妻川の河原より発見された門石が残存している。また、その門石の欠損した一部分が鎌原地区の路傍に道標として転用されている。
 延命寺までの導入路は、資料館付近から、畦道に近い遊歩道を下って来る道と、街道(村道)から民家の間を抜けて、短冊状の地割の間を抜けてくる路の2つがある。どちらの道も本格的な整備がされておらず、延命寺跡へのアクセスを整備する必要がある。
 参道として利用されていたと考えられる道は、街道側からの道であり、地割を認識することもできるので延命寺跡への参道(遊歩道)として歩道整備すべきであろう。
 延命寺跡の整備の目的は、延命寺(本堂・庫裏・納屋)の埋没状況を明らかにすることと、出土した遺物による災害当時の状況の展示である。施設は、周辺環境を考慮し、当時の延命寺の規模(特に高さ)を越えないような施設にすべきである。

・この施設では、延命寺(本堂・庫裏・納屋)の埋没状況を明らかにすることと、出土した資料の展示による災害当時の状況をわかるようにすることが目的である。
 また、十日ノ窪と同様に計画的な発掘調査を行う。

・上記与条件から、資料館機能と覆い屋架設が必要である。
 この位置は、鎌原集落全体でも景観上の要点であるので、当時の延命寺を上回る規模の建築や、近代的な構造物は避けるべきと思われる。
 従って、全体的に覆い屋を架設し、逐次、発掘調査・保存処理・資料館活動が行えるような地下構造物とする。


B十日ノ窪民家跡
 十日ノ窪の埋没民家跡は、昭和54年及び56年に発掘調査され、少なくとも3棟の家屋があったことが明らかとなっているが、まだ全域の発掘調査は終わっておらず、家屋全体が発掘されたのは、発見された3棟のうち中央の1棟のみである。現在までに発掘調査の行われた埋没民家からは多数の建材や生活用品が出土している。十日ノ窪は、未発掘地域も多いので、体験発掘の場とする。
 また、十日ノ窪民家跡の導入口としては、道路を隔てた観音堂境内からの動線が考えられる。これらを結ぶ歩道が必要であろう。
 十日ノ窪はまだ全域が発掘されていないこともあり、まず体験発掘のための設備が必要とされる。
 埋没民家の遺構面が現地盤面より2〜6mであり、体験発掘と同地点での埋没民家復元展示は不可能であるので、段階的に体験発掘と民家復元展示を行う。体験発掘は、危険防止のために土留めして掘り下げ、遺構の保護及び発掘の利便性を考慮して、発掘現場全域を仮設の覆屋で屋根を架け、全天候で発掘可能な施設とする。体験発掘及び調査終了後、遺構上に遺構保護盛土を施したうえ埋め戻し、周辺の地盤面と同じ高さで、遺構の直上地点に発掘調査を基に民家の復元展示を行う。その際発掘された民具や生活用品などの展示を行い、当時の生活状況の再現を試みる。


十日ノ窪民家跡体験発掘及び遺構復元展示
・遺構包含層より、1.5m程度上面まで土留め・掘り下げを行い、仮設覆屋を架設する。一地点の体験発掘及び調査終了後、遺構保護の盛土を施し次の発掘地点に移る。

・発掘調査終了後、仮設覆屋を撤去し、遺構保護盛土を施し、現況地盤まで埋め戻す。遺構直上の地点に埋没民家の復元展示を行う。


4−5環境整備構想

@全体計画
 鎌原地区全体を嬬恋村風土博物館の中核施設とするために、資料館や創作実習館、ガイダンス施設などと、前節で述べた埋没村落整備、そして、街道沿いの街並や石造物等、鎌原地区の文化財を連結するよう環境整備を行う。
 街道周辺は、地区住民の日常生活の場であるので、生活と関連づけた整備を心がけると共に、日常の生活に支障を来すことなく、諸条件を考慮して整備を進めることが必要である。
 具体的には次の3地点の整備が挙げられる。
 第一の整備要素は鎌原地区の街並の保存・修景である。かつて用水路が中央を流れていた街道は、現在ではアスファルトで舗装された車中心の道路となり、その両側の民家も建て替えが進行し、昔日の風景を思わせるものは日々消えつつある。現存する古い民家も構造は残しつつも、壁を覆い、屋根を葺き替えている民家がほとんどである。
 以上のような現状に対して、街道の修景整備や、民家の修景・保存修理などを行い、歴史的価値の高い鎌原地区の街並の保存を図る。
 次に各施設や史跡・文化財間を史跡公園として連結するための園路整備が必要とされるが、ここでは代表的な地点として延命寺跡周辺を取り上げる。延命寺跡と資料館や観音堂、及び街並を結ぶ歩道の整備と、見晴らしの良い高台を利用した休憩施設、そして、延命寺跡の背後の雑木林を生かした、散策路や便益施設の整備を行う。
 最後に、鎌原地区の入口である浅間・白根火山ルートからの導入、資料館や創作実習館の活用、ガイダンス施設など資料館周辺の環境整備を計画した。中核施設としての鎌原地区のメインゲートとなるこの地点では、それにふさわしい総合的な案内施設が必要とされ、また導入をスムースに進めるための標識の設置も行う。


A街並(D)
 鎌原地区は、現在でもある程度の街並の景観や地割が遺存しているので、それらを生かした修景整備を行う。
 街道からの景観を重視した整備とし、通りに面する民家を中心に、状況の調査を行い分類する。そのランク別に、それぞれに適した保存修理や修景整備を行う。
 街道の整備は、宿場として機能していた時代のように中央に用水路を通すことば、車両の通行の問題など住民の生活に支障を来すので、用水路の表示をした修景舗装を施す。また、電柱を撤去し電線の埋設化も行うべきである。
 街道沿いには、道祖神や道標・石殿といった石造物など既存史跡が点在するので、それらをも利用した修景を行う。


民家の分類

 街道に面する民家を中心に宿場街としての民家修景整備を行う。民家の構造や破損状態を調査・分類し、それぞれに応じた修理修景を施し、当時の風景にできるかぎり近付ける。
 分類は右の4つにランク分けした。

民家の分類
 Aランク:古い構造を残し、外観上も優秀なもの。
 Bランク:古い構造を残すが、外観(屋根)などが改変しているもの。
 Cランク:新しい構造形態の建物。
 Dランク:宿場街としての景観を損なうもの。

 民家の調査による分類から、それぞれの民家に対して保存管理基準を設けて保存修復および修景整備する必要がある。


(別表)


民家の活用(宮崎邸)
 街道沿いの集落のほぼ中央に位置する宮崎邸は、所々改変されているが、総じて当初の状態を良く残している。現在裏手に新居を建築しており、この民家は空き家となる予定である。街並のほぼ中央という立地や建築物の質から、この民家を街並整備の中心的施設として保存修理し、内部を生活用具などの展示空間として活用する。


[宮崎邸内観]
仏  壇:押入の隅に造られた素朴な仏壇。
下階土間:柱・梁や壁板が与岐(ヨキ)で仕上げられている。
上  階:小屋組が露出されており、通し柱が下階よりも細かく削られている。

[道具]
風袋:繭を入れる袋か。たたみ方が珍しい。
土間:炊事道具が並ぶ。
差し廻し板:諏訪神社大祭以外の小社祭りの際各自の名前の付いている袋に寄付金を入れて隣から隣へと廻して集めた。


街道整備
 街道の整備は、住民の日常生活に支障を来さないように、通常の路面とは色・質感を変えた水路表示にする。また、電線の地下埋設化や商店の看板などの規制(大きさ・色など)も検討事項となるであろう。

[鎌原地区 既存の史跡・文化財]

鎌原神社:宿場街のほぼ中央を東に入った所にある神社。
味噌倉:味噌を貯蔵するための倉。いくつかの民家の庭先に共通した形の倉が見られる。郷倉:鎌原神社の境内にある備荒貯蓄のために穀物を貯蔵した倉。
石造物:双体道祖神や道標・石殿等が点在する。
小屋(オヤ):馬の干し草を貯蔵するための小屋。


B延命寺跡周辺(E)
 鎌原地区を中核施設として周遊できるように遊歩道の整備を行う。現在でも地割に沿った畦道や、見晴らしの良い歩道があるので、それらを生かした整備とし、高台に休憩スペースとして、小屋(オヤ)を移築した四阿などを設置する。
 延命寺跡の背後にある、カラマツを中心とした雑木林の中に散策路を通し、中央部に広場を設け、ベンチや四阿を配し、子供達や家族連れが遊べるようにする。
 整備全体を通して、身体障害者にも十分な配慮をした計画とする。

C 資料館周辺(F)
 浅間・白根火山ルートが、鎌原地区への主な出入り口になるので、中心施設となるガイダンス施設を置き、資料館や創作実習館の活用と関連させた体制作りを行う。
 ガイダンス施設は、村全体のガイダンス施設であると共に、鎌原地区のガイダンス機能も持ち、現在は乱立している土産物店や便所なども含めた施設整備とする。
 屋外の導入標識・総合案内板なども充実させる。また三原や軽井沢からの誘導標識なども整備する必要がある。
 将来、来訪者の増大が予想されるので、道路反対側の土地を駐車場候補地とする。