■風土博物館
1.序文
2.嬬恋村風土博物館の提案
3.嬬恋村整備構想
4.鎌原地区整備構想
4-4.埋没村落整備構想
@鎌原観音堂石段
A延命寺跡
B十日ノ窪民家跡
4-5環境整備構想
@全体計画
A街並
B延命寺跡周辺
C資料館周辺
5.推進計画
6.調査計画
■サイトマップ
■リンク
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A延命寺跡
延命寺跡は、鎌原地区が見渡せる高台に位置し、周囲を畑や雑木林に囲まれており、第6次にわたる発掘調査によって本堂・庫裏・納屋等が確認されている。
遺構は現地表面より約6.5m下の天明3年当時の地表面に、その存在が確認されており、観音堂境内には、天明3年の浅間山の噴火の際に流失し、明治43年吾妻川の河原より発見された門石が残存している。また、その門石の欠損した一部分が鎌原地区の路傍に道標として転用されている。
延命寺までの導入路は、資料館付近から、畦道に近い遊歩道を下って来る道と、街道(村道)から民家の間を抜けて、短冊状の地割の間を抜けてくる路の2つがある。どちらの道も本格的な整備がされておらず、延命寺跡へのアクセスを整備する必要がある。
参道として利用されていたと考えられる道は、街道側からの道であり、地割を認識することもできるので延命寺跡への参道(遊歩道)として歩道整備すべきであろう。
延命寺跡の整備の目的は、延命寺(本堂・庫裏・納屋)の埋没状況を明らかにすることと、出土した遺物による災害当時の状況の展示である。施設は、周辺環境を考慮し、当時の延命寺の規模(特に高さ)を越えないような施設にすべきである。
・この施設では、延命寺(本堂・庫裏・納屋)の埋没状況を明らかにすることと、出土した資料の展示による災害当時の状況をわかるようにすることが目的である。
また、十日ノ窪と同様に計画的な発掘調査を行う。
・上記与条件から、資料館機能と覆い屋架設が必要である。
この位置は、鎌原集落全体でも景観上の要点であるので、当時の延命寺を上回る規模の建築や、近代的な構造物は避けるべきと思われる。
従って、全体的に覆い屋を架設し、逐次、発掘調査・保存処理・資料館活動が行えるような地下構造物とする。
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