| トップへ戻る | 宿泊予約へ | |||||
| 水上町 |
月夜野 沼田 |
片品・白沢 利根 |
昭和 川場 |
渋川・伊香保 榛名・赤城 |
高山 中之条 |
|
| 食事 | 温泉 | 観光 | 体験 | 自然 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
塩原太助の資料館と新鮮野菜の直売所太助の郷
塩原太助の資料館
野菜の直売所と地域の物産の販売
その他にもこんなものが・・
塩原太助<寛保3(1743)−文化13(1816)>
ある日、太助は「江戸に出て、身を立て家を興そう」と父に願いでましたが許されず、ついに、ある朝の未明、草刈りに出かけるふりをして日頃飼いならした愛馬「あお」を引いて家を出ました。 しかし太助は、江戸に出ても奉公口を探すことが出来ず、ついに思いあまって死のうとし、神田昌平橋から身を投げようとしました。その時「早まるな」と後ろから抱き止めてくれた人が炭商山口屋善右衛門でした。 太助はここで奉公を続け、朝は星のあるうちに起き、夜は人声が鎮まるのをまって寝ました。他の奉公人の休む隙に、はき古しのはき物の鼻緒をすげ替えておいて、急な場合の役に立たせたり、落ち散っている縄屑などを拾い集めておいて、炭俵のつくろいなどに使いました。 このようにして、いつしか「奉公人の鑑」とまで感心されるようになりました。 また山口屋に奉公して5年目のこと。毎日、炭荷を積んだ車を引いて通る湯島無縁坂が荒れていてひどかったので、太助は自費で改修を行いました。晩年には、中山村の反峠に渋茶の接待
太助は山口屋に奉公した23年の間、真面目に良く勤め、38歳の時に独立し、本所相生町に炭屋を開業しました。「顧客は神様」という信念で、堅実にじっくりと事業の経営をしました。 太助夫婦はともに協力し、48歳の時に広い屋敷を求めて新店舗を構え、はじめて財をなした豪商となったのです。巨万の富を築き、公儀の御用を勤める身分となって、 「本所にすぎたるものが二つあり津軽大名、炭屋塩原」 と言われるようになりました。 ラズベリーユースホステルからの行き方(車で25分) 県道61号線で月夜野方面に向かいます。「下牧」の信号を右折。月夜野矢瀬親水公園をすぎてすぐに、左折し291号線にのります。しばらく行き、「上津大原」の信号で17号にあたるので、そこを右折し新治村方面へ。5分ほどで右手に「太助の郷」があります。
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| トップへ戻る | 宿泊予約へ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||