はじめに 小論集 文化と自然1 文化と自然2 文化と自然3 文化と自然4 風土博物館
■文化と自然4

081.花開く“草莽の文化”
082.的岩を訪ねる
083.コメコメについて
084.トックリ穴の洞窟
085.信州街道の中の嬬恋
086.潤いを求めて
087.田代牧場のこと
088.環境教育について
089.信州加澤郷薬湯縁起
090.鬼岩を訪ねる
091.石樋を訪ねる
092.いのち・家族の学習
093.西窪城に想う
094.舞台公演される“浅間”
095.大前村のこと
096.三原三十四所観音札所
097.三間取りの家
098.嬬恋にあった巨大な湖
099.よみがえった延命寺
100.噴火予知への試み
101.ロウ石山”を訪ねる
102.吾妻鉱山について
103.石津鉱山を訪ねる
104.嬬恋村の近代化遺産
105.キャベツ栽培の展開
106.終わるにあたって

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106.終わるにあたって

 芭蕉が、門下の許六の贈った送別の言葉に、次のようなものがある。

「古人の跡を求めず 古人の求めたるところを求めよ」 (柴門の辞)

 これは、もとは空海の教えであって、本来は書道について述べたものである。芭蕉は、これを引用して、俳諧の道においても、古人の残した言葉づかいや題材などよりも、その背後にある“こころ”を求めよと言ったものであろう。

 嬬恋村は、山奥山間に位置している。そのため、豊かな自然があり、その自然や社会環境に即した歴史が展開した。

 事実、縄文時代にあっては、今井東平遺跡にみられるような、感性豊かな素晴らしい土器が、あるいは企画性に富んだ住居跡が発見されている。これらは、関東平野や長野県を中心とした中部高地の、さらに信濃川流域の縄文文化を積極的に吸収したことによるもので、群馬県下においても希にみる卓越した地域文化を形成している。

 また、中世にあっては、北陸地方中心に盛んとなった「白山(はくさん)修験道(しゅげんどう)」が波及し、宗主家下屋氏による政治・宗教的社会が形成され発展した。万座温泉の礫石経(れきせききょう)、華(げ)童子(どうじ)の宮跡、三原出土の経筒(きょうづつ)、今宮白山権現、熊野神社の奧ノ院などは、その盛況を物語っている。

 さらに、江戸時代にあっては天明三年の浅間山の噴火によって埋没した鎌原村では、江戸や上方の文化が取り入れられ、衣食住など各面にわたって、われわれがこれまで考えていたより、遙かに豊かな“草莽(そうもう)の文化”(民間の文化)が開花していたのであった。

 いかに山奥山間の厳しい自然環境にあっても、その地が、政治・経済・社会、そして文化的に必要とあれば、どんな険しい山並みも、そして厳しい気象条件も、人は力強く克服して生活を切り拓いていったのである。

 本シリーズは、ただ単に嬬恋村の自然と文化を知ってもらおうとするものではない。嬬恋村の自然と文化を通して、そこに住んだ人々が、「何を求め、何を考えて生きてきたか」を知っていただきたいのである。

 ところで、自然や文化は、自らそれを語ろうとはしない。現在、そこに住むものが、関心をもって手順をつくして語りかけた時に、はじめて語りはじめるのである。