万平ホテル・万平資料館

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万平ホテル・万平資料館

 万平ホテルは、江戸時代後期に、佐藤万右衛門が万平ホテルの前身となる旅籠「亀屋」を旧軽井沢銀座の軽井沢郵便局付近に開業したのがはじまりです。明治期に東郷平八郎、大正期に室生犀星や堀辰雄、ウォルター・ウェストンなど、昭和期には三島由紀夫やジョン・レノンなど、多くの著名人が宿泊しています。


軽井沢は宿場町として繁栄しましたが、明治時代に入ると急速に寂れてしまいます。しかし、明治19年に宣教師アレキサンダー・ショーと英語教師ジェームズ・ディクソンが軽井沢に立ち寄ることによって事態は急変しました。日本の猛暑に閉口していた彼らは、涼しい軽井沢の気候と、祖国スコットランドそっくりの軽井沢の風景に魅せられ、休業状態の旅籠・亀屋を訪れて「一夏の間、借りたい」と申し出たのです。

 この亀屋の主人、佐藤万平はこれを好機と捕らえ、外国人の生活習慣や彼らをもてなす技術を学ぶことにしました。この佐藤万平こそが万平ホテルの生みの親であり、今日の軽井沢を作り上げた張本人でもあります。佐藤万平は、アレキサンダー・クロフト・ショーを夏の間もてなすことによって、外国人の生活習慣や応対技術を学び、明治27年に一部を洋風に改装して万平ホテルを創設しました。この万平ホテルが軽井沢の発展を促したのであり、軽井沢は、佐藤万平とアレキサンダー・クロフト・ショーによって作られたといっても過言ではありません。つまり、軽井沢を知るには、まずは万平ホテルを知る必要があるのです。
万平ホテル 万平ホテル
 それはともかく万平ホテルは、明治35年に創業の地・旧軽銀座(現在の軽井沢郵便局のあたり)から現在地・桜の沢に移転し、本格的なホテル営業を開始しました。建築を手がけたのは、軽井沢一の棟梁と言わた小林代造で、外国人客には好意的に迎えられました。それから4年後に、商売敵となるかもしれない三笠ホテル(国の重要文化財)が開業しますが、なんと、そのホテル建築の監督を引き受けたのは、他ならぬ佐藤万平であり、建築も万平ホテルを建てた軽井沢一の棟梁・小林代造なのでした。この佐藤万平の精神は、おそるべきものがあります。よほどの自信を持っていたか、無私の心で軽井沢の発展を願っていたのか・・・・。
万平ホテル 万平ホテル 
 ちなみに、この万平ホテルには、大正2年7月に英国人のウォルター・ウェストン(日本登山の父)が宿泊しています。著名人も数多く滞在し、ビートルズのジョンレノンも長期にわたって滞在していて、ジョンレノンの関連のものもたくさん残されています。そういうわけで一般の人が宿泊するには、とても高額な費用がかかりますが、万平ホテルのカフェレストランで食事をするくらいなら、それほどお金もかかりません。雰囲気だけなら万平ホテルのカフェレストランでも、充分に、万平ホテルの歴史を味わえると思います。蛇足ですが、万平ホテルにきたら、重要文化財の三笠ホテルもぜひ見学したいものです。
万平ホテル  万平ホテル


万平ホテルの歴史

 1886年(明治19年)、避暑地としての軽井沢を、イギリスに気候・建物の雰囲気が似ていることもあり高く評価し、後に軽井沢を日本の代表的な避暑地として世界に向けて紹介した聖公会宣教師アレキサンダー・クロフト・ショーと、その友人の英語教師ジェームズ・ディクソンが休業状態に陥っていた亀屋を訪れたことがきっかけとなり、当時の亀屋の主人であった佐藤万平(初代)は、外国人に応対する技術や生活習慣を学びました。それを反映させる形で1894年(明治27年)に亀屋ホテルがオープン。現在はこの年に万平ホテル創業という位置付けがされています。


 1902年(明治35年)、ホテルを旧軽井沢銀座から桜の沢に移転しました。また、名称を現在の「万平ホテル」にし、本格的なホテル営業を開始しました。1918年(大正7年)の初代佐藤万平死去後、万平の娘婿であり、万平と二人三脚でホテルを創り上げてきた佐藤国三郎が「二代目万平」を襲名。現在カフェテラス脇にある銅像は国三郎です。現在の本館アルプス館は1936年(昭和11年)に完成したもので、設計は日光金谷ホテルも手掛けた久米権九郎、施工は井上組です。

 1943年(昭和18年)、太平洋戦争に伴い、軽井沢が外国人の強制疎開地に指定されたことを受けて、ソ連とトルコの大使館が万平ホテルに疎開。2年後の1945年には、米国陸軍第八軍の接収により全館が営業を停止します。このとき、GHQの要請で冬季営業が可能となるように改造を施し、米軍将校向け宿泊基地としての機能を果たしました。1952年に、米軍による接収が解除され通常営業を再開しました。


 2000年代に入って、2006年の毎日新聞社主催・ヘリテージング100選や、2007年11月30日、経済産業省認定の近代化産業遺産に指定されるなど、近代遺産としての評価を受けています。館内には「万平ホテル史料室」があります。万平ホテル史料室には、ホテルの歴史に関する史料や調度品をはじめ、東京オリンピック委員会からの感謝状や、1972年に当時日本の首相であった田中角栄と、アメリカ・国家安全保障担当大統領補佐官のヘンリー・キッシンジャーが会談の際に座った椅子、一家で避暑の定宿としていたジョン・レノンが気に入ったとされるピアノなどが展示されています。

http://mampei.co.jp/

江戸時代後期 - 旅籠「亀屋」として開業。
1894年(明治27年) - 亀屋をホテルに改装。「亀屋ホテル」へ改称、創業。
1896年(明治29年) - 名称を亀屋ホテルから「萬平ホテル」に改める。
1902年(明治35年) - 桜の沢に移転新築。名称は萬平ホテルから「万平ホテル」になる。
1925年(大正14年) - 株式会社国際観光ホテルとして法人を設立。
1936年(昭和11年) - 本館解体後、本館アルプス館完成。
1963年(昭和34年) - 欅館(現在の東急ハーヴェストクラブ軽井沢万平)新築。
1970年(昭和45年) - アサマ(浅間)館(会議室・桜の間)新築。
1975年(昭和50年) - アタゴ(愛宕)館改築。
1990年(平成2年) - 株式会社万平ホテルに社名変更。
1997年(平成9年)2月 - 森ビル開発株式会社(現在の森トラスト株式会社)が資本・経営参加を開始。
1999年(平成11年) - コテージ3棟「八ヶ岳」「白馬」「上高地」新築。
2001年(平成13年) - ウスイ(碓氷)館を全面改築。
2004年(平成16年) - 万平ホテル史料室オープン。

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