アレキサンドル・クロフト・ショー

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アレキサンドル・クロフト・ショー

アレキサンダー・クロフト・ショー  アレキサンダー・クロフト・ショーは1846年、カナダ(当時の英領カナダ)のトロント市に生まれました。ショー家は、スコットランドに長く続いた名家で、後にカナダに移住。祖先はトロント市の開発の先駆者として活躍し、同市内にはいまでも「ショー通り」の名前が残されています。A・C・ショーはトロント大学に進み、在学中に聖公会聖職を志しました。そして1869年に執事に、1870年に司祭となります。同年、イギリスに渡り、ロンドンの教会に勤務するようになりました。

 日本で言うと明治初期のことでした。

 ところで英国聖公会は、近代化のすすむ日本にキリスト教を広めたいと考えていました。その宣教師にショーが志願したのです。そして、1873年(明治6年)、ロンドンから大西洋、アメリカ大陸横断を経て、横浜に到着しました。宣教師としての第一歩を踏み出したのです。

 ただし、ショーが来日した当時、外国人にはまだ多くの障害がありました。日本人への宣教伝道をしたくとも、宣教師の居留地外居住は許されず、日本人との接触を十分に持つことができなかったのです。そんな状況を打破するため、ショーは慶應義塾の創始者・福沢諭吉の子女のための住み込み家庭教師の仕事を得ます。併せて、慶應義塾の「倫理学教授」の肩書きも手に入れました。
アレキサンダー・クロフト・ショー
 ショーは本国に送った手紙の中で、「日本宣教に赴いた者が教師になるとは何事だとの批判はあるかもしれないが、現状ではこれが最善の策。私は学校で『倫理』、その実『聖書』を青年たちに教えている」と報告しています。1876年(明治9年)、ショーは東京・三田に最初の宣教拠点として聖保羅(パウロ)会堂を設置。後に芝に移転して現在の聖アンデレ教会を創設し、その活動は発展していきました。  さて、軽井沢はもともと中山道の宿場町として開けた集落。しかし江戸幕府が倒れて明治期に入ると、街道を往来する旅人も少なくなり衰退の一途をたどっていました。そんな頃の明治19年に、東京の夏の猛暑を避けて軽井沢を通りかかりますが、彼は、軽井沢の涼しく爽やかな気候と自然に感嘆し、ひと夏を軽井沢で過ごすことになります。それがきっかけで、多くの外国人らが訪れるようになるわけです。 ショー礼拝堂
 ちなみに、アレキサンダー・クロフト・ショー氏は、聖公会の司祭という立場で、英国聖公会の宣教師として、軽井沢に来ています。聖公会とは、イギリス国教会の系統を引く、イギリス系統のカトリック教会です。ローマ系統でなく、イギリス系統のカトリック教会です。

 その司祭としてショー氏は、日本各地に伝導に行きました。そして軽井沢の土地に感激するわけですが、聖書におけるイエス・キリストと同じく、伝導の後に誰も人もいない所に引っ込んで休まれる、つまり軽井沢へ行って休まれたわけです。

 実は、これは、単なる休息ではありません。キリスト教の中での「休む」ことの意味での休みです。どういう事かと言いますと、一生懸命に働き、一生懸命生きる、その生き方を今度はじっくりと見つめ直して、その中にあって、ふと忘れがちになる「自分を生かしているもの」に、もう一度考え、見つめ直すことなのです。そして、心新たにして「自分を生かしていたもの」に気付かされて、元気付けられるということなんですね。

 実は、この『休み』こそが、西洋文明を大きく発展させた原動力であり、数々の原理・真理・法則の発見のもとになったのではないかと言われています。
ショー礼拝堂
 話はそれましたが、アレキサンダー・クロフト・ショーにとっての軽井沢は、そういう『休み』と関連があったとおっしゃる方がいらっしゃいます。このように『休み』こそが人生にとって非常に重要であることは、私も常々思っています(旅人的生活の方法)。

 話を戻します。1888年(明治21年)に、旧軽井沢の大塚山(だいづかやま)に簡素な別荘を建て、友人の宣教師たちにも「軽井沢は保健と勉学に適している」とすすめた。すると、友人の宣教師らの別荘も年を追って建ち始めたのました。当時の欧米人は、夏休みがあっても故郷への船旅は何ヶ月もかかってしまうので帰れなかったため、東京のうだるような暑さに耐え切れない欧米人にとって軽井沢は格好の避暑地となったわけです。
 また明治後期に入ると訪れる人を受け入れるホテルもでき、大正期には、西武などの資本の参入で別荘地の分譲が盛んになりました。こうして軽井沢は大きく発展していきました。そんな避暑地・軽井沢の礎を築いたアレキサンダー・クロフト・ショーは、1902年(明治35年)、56歳で東京で逝去し、青山墓地に夫人とともに葬られています。

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